2010年04月16日
設計したのは人か企業か?
(菊原静男氏の開発した川西大艇)
(新明和工業の設計した「US2」)
私はいま、1920年代末から1930年代の船舶、航空機など長距離交通/輸送機器を文献調査している。
2〜3時間、あるいは数時間で目的地に到達する単なる「移動機関」ではなく、短期間ながらそこで生活することが要求される「長距離交通機関」の居住性のあるべき姿について検討し、そのために先人が如何に英知を絞ったかを残された資料から調べようと思ったからである。
和田英次郎氏は、その著書「スピードとエレガンス:1930年代の車たち」のなかで、自動車だけでなく、大西洋横断航路におけるブルーリボン争奪戦や、プロペラ機のスピード記録を陸上機から取り戻し、いまだに保持している水上機のスピードレース「シュナイダー・カップ・レース」にも触れているが、氏は『(前略)様々な技術革新が加わり現代につながるモダーンはものに変革したのが30年代後半である。スピードへの熱狂、ラグジャリー・アンド・エレガンスへの傾倒、流線型を初めとする様々な想像力豊かな技術開発への情熱が渾然一体となって、車史上最大の黄金期を迎えた(後略)』と述べている。
石川潤一氏は、その著書「旅客機発達物語」のあとがきを『航空史の前半部には、ライト兄弟やアンソニー・フォッカー、チャールズ・リンドバーグ、ホアン・トリップ、ハワード・ヒューズなど、ひと癖もふた癖もある、それでいて人間的魅力にあふれた"個人"が次々に登場する。しかし現在では、"個人"が航空史に登場する余地はあまり残されておらず、魅力ある個性を発揮する航空人も少なくなった。(中略)音の2倍半の早さで飛んだり、800人も乗れる機体のどこに、あるいはその設計者やパイロットのどこに「個」を見出したらいいのだろう。ハイテク時代の飛行機好きが抱える、新しい悩みの種かもしれない。』と結んでいる。
当時の航空機や船舶の設計者は、旅客用飛行船を設計したルートヴィヒ・デューア、ヨハン・シュッテ、パウル・ヤライ、川西式大型飛行艇を設計した菊原静男、戦前の「あるぜんちな丸」を設計した和辻春樹、「ノルマンディ」を設計したロマノなどよく知られている。
しかし、今日多くの航空機、乗用車、船舶が量産あるいは建造されているがその設計者が誰なのか殆ど知られていない。
設計の主体が設計者個人ではなく、その「会社」あるいは「事業所」なのである。
製造あるいは建造の主体は大企業で、設計者やメーカーの個性も特徴もなくなったように思える。
資本主義の悪い面が出ていると思うのである。
これは、製造や運用面ばかりではないような気がする。
企業の経営者もその歳になるまで無難に生き延びてきたサラリーマンであり、近頃は政治家まで似たような傾向と思うのは私だけであろうか?
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