2010年04月12日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

ガイセンヘイナーの乗船記

ErstEtappe_1.jpg

「グラーフ・ツェッペリン」は最もよく知られた航空機で、特にその世界周航は最も有名な航行である。

従って、これに関しては多くの著述がある。

フリードリッヒスハーフェンから霞ヶ浦まで乗船した大阪毎日新聞の特派員、圓地與四松博士は、その著書「空の驚異、ツェッペリン」のなかの一節として同乗記を掲載しており、同じ区間に乗船した大阪朝日の北野吉内記者は、朝日新聞の昭和4年8月21、22日の紙面に乗船記を載せている。

同船の運航責任者であったエッケナー博士も著書の中で世界一周飛行について記述し、幹部乗務員では、後に「グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」の指令を勤めたアルバート・ザムト氏も彼の著書「ツェッペリンに捧げた我が人生」の中でこの航行について記述している。

しかし、いずれも離陸してからの経路や、シベリアの山火事やツンドラの湿原描写など通り一遍で、エッケナー博士は当時世界的な人物であったので、殆ど人名については記述しておらず、8月19日の霞ヶ浦着陸から23日午後の離陸まで日本滞在中の記述はなく、『この2つの街の街路や広場で繰り広げられた興奮と熱狂の情景を記載するのは省略して、ただ沢山の人の中にいたひとりの詩人が群衆の熱狂の様子を詩にしていたことを紹介するに留める』と実に素っ気ない。

後に飛行船船長となるザムト氏は、宿舎や宴会の様子を描写しているが、彼はこの航行中乗船客との接触はかなり限定されており、その記述にも限界がある。

これらとは異なり、フランクフルト新聞などの特派員として全区間乗船したガイセンヘイナーの乗船記は、船内の食事や生活、乗船者の人物描写、東京における歓迎会や祝宴の様子など具体的に記述されていて実に面白い。

昨年11月下旬から数ヶ月で、フリードリッヒスハーフェンから霞ヶ浦までの第一区間の終わりに近づいたところである。

この先が楽しみである。


Comment on "ガイセンヘイナーの乗船記"

"ガイセンヘイナーの乗船記"へのコメントはまだありません。