2010年03月16日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

飛行船「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航記

Geisenheyner_1.jpg

1929年に挙行された飛行船「グラーフ・ツェッペリン」の世界一周飛行は、民間航空史上最も有名な飛行である。

乗客定員20名のうち、ハンブルク海洋気象台の気象学者ザイルコフ博士、通過国代表であるスペインのメヒアス博士とリカルド大佐、ソビエト政府代表カルクリン氏、日本政府代表藤吉少佐、合衆国政府代表ローゼンダール司令とリチャードソン少佐、それにイギリスの極地探検家ウィルキンス氏、スイスの退役大佐イセリン氏、大富豪の遺産相続人リーズ氏のほかは報道関係者である。
内訳はハースト新聞社のドラモンド・ヘイ女史とヴィーガント特派員、フランクフルター・ツァイトゥンクの特派員ガインセンヘイナー氏、シェルル社のエシュヴェーゲ=リヒベルク特派員、マタン紙のリーシュ記者、ウルシュタイン社のカウダ博士、大阪毎日の圓地記者と大阪朝日の北野記者、それにウルシュタイン・シェルル両社から派遣されたペルクハマー氏とハースト新聞のハートマン氏の写真技師2名である。

しかしながらその乗船記は少ない。
日本では圓地氏の「グラーフ・ツェッペリン号同乗日記」が知られているが、圓地記者と北野記者が乗ったのはフリードリッヒスハーフェンから霞ヶ浦までの5日間のみである。乗務員側からは同船司令のフーゴー・エッケナー博士や航海士・昇降舵手として乗船したアルバート・ザムト氏があるが、いずれもその著書の一部として取り扱われているに過ぎない。

その意味で、ガイセンヘイナー氏の「グラーフ・ツェッペリンで世界周航」の存在は貴重である。

同書は52節からなっており、乗船前に5節、乗船中の記述に13節、経過コースや寄港地に32節を費やしている。
そのほかに、交通手段としての飛行船についての意見とツェッペリン伯爵について述べている。

中でも興味があるのは、上空飛行を含め寄航した日本について10節も書いているのは、エッケナー博士が日本について何も書いていないのと対照的である。

約一年前から少しずつ読み進めてきたがやっと三分の一あたりまで来た。
これから先が楽しみである。

Comment on "飛行船「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航記"

"飛行船「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航記"へのコメントはまだありません。