2010年02月18日
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マイバッハのシャシーにヤライのボディ
飛行船のエンジンを製作していたマイバッハ・モーターはダイムラー社のグローサー・メルセデスに匹敵する高級車を開発したことでも知られている。
ダイムラーと一緒にメルセデス第1号を製作したウィルヘルム・マイバッハは1909年にダイムラー社を退社して、子息のカールとともにマイバッハ・モーター製作所を設立し、ツェッペリンやシュッテ・ランツなど飛行船のためのエンジンを供給した。
パウル・ヤライはフリードリッヒスハーフェンの飛行機製作所からツェッペリン飛行船製造社に移り、近代的飛行船の設計を確立した。
「LZ120:ボーデンゼー」の基本設計は彼が生み出したものである。
しかし「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」や「LZ129:ヒンデンブルク」の頃はツェッペリン飛行船製造社を退社していたため、殆ど知られていない。
そのヤライはツェッペリン時代に風洞実験により流体力学とその設計への応用を実施していた。
彼は、その後スイスに戻り、技術事務所を開設した。
そこで、イギリスの飛行船メーカー、エアシップギャランティ社に招聘されてR100のデザインにも貢献したと伝えられているが、多くの自動車メーカー向けに流線型車体をデザインしていた。
これは、マイバッハSW35のシャシーにヤライの設計した流線型ボディを載せた試作車である。
ボディ本体とフェンダーを塗り分けたり、実に興味のあるデザインである。
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