2010年02月01日

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「スーパーライナー」の基本設計

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「ブレーメン」
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「オイローパ」
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北ドイツロイド社がその商船隊復興を期して建造した定期客船は、従来の北大西洋のパッセンジャーライナーを一挙に旧式化させるほど斬新なデザインで、ジャーナリスト達からはスーパーライナーと呼ばれた。

従来の定期客船は船体上部構造の中心線上に高い4本煙突を立てていた。
ファンネルマークで運航する海運会社は判っても同じファンネルマークの場合、関係者でも船名を読むまでは確信が持てなかったという。

Mauretania1.jpg

例えばこのキュナードラインの有名なポスターは、ある書籍にはコリン・アシュフォードの描いたモウレタニアとも紹介されており、別の本ではケネス・シュースミスの描いたアキタニアとされている。

1929年にデビューした「ブレーメン」と造船所で艤装中に火災を発生したため遅れて完成した「オイローパ」は低く太い2本煙突、従来は平面であった上部構造前端部を美しい曲面にまとめ上げられた共通する強烈なイメージを与えた。

水面上ではよく判らないが船首船底部は喫水線の下で球状に膨らんだバルバスバウに仕上げられていた。

しかも、両船は姉妹船ではあるが同型船ではなかった。
総トン数(B:51656GT、E:49746GT)も純トン数(B:21853NT、E:20308NT)も全長(B:286.10m、E:285.52m)も乗客定員(B:2228人、E:2265人)も異なる。
よく見ると船首のフレアも上部構造先端部の窓の配置も異なっているが、見るものに与える印象は如何にも姉妹船である。

世界の造船・海運界を驚かせたこのデザインは、ヴァイマールのバウハウスに代表される一次世界大戦後のドイツのデザイン界の総力で作り上げられた。
今まで造船設計に携わっていた技術者にはタブーとなっていたところにも革新のメスが入ったのである。その一例が低い煙突である。蒸気機関車と同じくボイラーを焚く汽船は煤煙を拡散させるために高い煙突を立てていた。
(煙突の断面形状も両船では異なっていたが、運航を開始して甲板上に煤煙が降るので後に増高されている。)

基本設計をとりまとめたのはシュヒティング博士であった。

船主の北ドイツロイド社から提示された基本設計をもとに、デシマーク社ブレーメン造船所とブローム・ウント・フォス社のハンブルク造船所で詳細設計が展開された。

基本設計とは、出来上がった姿を表すもので、詳細設計はその細部を具体化するものであると同時に、加工・建造工程のための情報を指示するものでもある。

1926年12月13日(ブローム&フォス)、14日(デシマーク)と交わされた建造契約の時点で、両船の総トン数は「コルンブス」を少し拡大した3万5千トンであったが速度記録を狙うために契約後、5万総トンに変更された。

高速艇や水中翼船でない通常の(排水量型)船舶では、速度はその船の水線長によって限界がある。これはイギリスのウィリアム・フルードによって解明され、フルード則としてよく知られている。


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