2010年01月08日

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「グラーフ・ツェッペリン」世界周航時の乗船客(11)

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世界周航時に乗務員以外の乗船客は20名であった。

「グラーフ・ツェッペリン」の客室はツインキャビンが10室で、乗客定員は20名である。
しかし乗客のなかに唯一の女性客、ドラモンド=ヘイ女史が居り、ツインキャビンをシングルユースで使用したため、乗客区画には19名しか入れなかった。

それで、一人だけ乗務員の士官区画で寝起きした人物が居た。
それがハンブルクのドイツ海洋気象台の気象学者、ザイルコフ博士である。

当時は気象台や測候所の数が少なく、海洋気象は航行している商船からの無線通報に依存する状態であった。
ドイツから日本まではシベリア上空を飛行することになったが、ツングースカの辺りまで行くと何処とも無線連絡が取れなくなった。
しかもロシアから提供された地図は実にいい加減で、オホーツク海に向かう飛行船に立ちはだかるジュグジル山脈の標高も3300フィートと記されていたが実際には6000フィート近かったという。
ザイルコフ博士は航海士の相談役として海図室にいたのである。

イラストは、「LZ126:ZRⅢ(米海軍のロサンゼルス)」が初めて大西洋横断飛行に出発した翌日の1924年10月14日(火)にドイツ海洋気象台が発行した北大西洋の天気図である。

「グラーフ・ツェッペリン」は旅客用飛行船としての実用実験船兼デモンストレーションと、世界各地の気象状況を調査するために建造されたのである。

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