2009年12月27日
「ビーグル」号出航
今年は「種の起源」を著述し、進化論を確立したチャールズ・ダーウィンが英海軍の測量船「ビーグル」号でプリマス港を出航した日である(1831年)。
彼は、すべての生物は遺伝によって進化すると説いた。
進化論というとだんだん環境に適応し、その種が優勢化することのように捉えられがちであるが、遺伝には優勢遺伝も劣勢遺伝もあり、その環境に適応しうるもののみが生き残るとう今では当たり前のことを多くの事例を引いて説明したのである。
しかし、人類は神が創り給うたものであるとする宗教界では、類人猿のようなものから進化したと言う説は、コペルニクスの地動説のように受け入れられるものではなかったという。
今でも合衆国では、州による教育では進化論を教えていないところもあるという。
1831年12月27日にプリマスを出航後、ヴェルデ岬諸島に寄港した。
ダーウィンはここで火山などを観測し、航海記録を付け始めた。
リオデジャネイロで正式な博物学者であった船医のマコーミックが下船したため、チャールズが後任を務めることになった。
「ビーグル」号はモンデヴィデオ、フェゴ島、フォークランドに立ち寄り1834年6月にマゼラン海峡を通過して南太平洋に出た。
バルパライソでチャールズは病に倒れ1ヶ月療養を余儀なくされたが、1835年9月には当時囚人の流刑地であったガラパゴス諸島のチャタム島に到着し1ヶ月あまり滞在している。ダーウィンがここから持ち帰ったガラパゴスゾウガメ「ハリエット」は2006年6月22日、心臓発作で死んだ。175歳であったという。
その後、ニュージーランド、オーストラリア、インド洋の孤島モーリシャスを経由して1836年6月にケープタウンに到着し、セントヘレナ島ではナポレオンの墓を訪れ、ヴェルデ岬諸島、アゾレス諸島を経て1836年10月2日にファルマスに帰港した。
その後、「ビーグル号航海記」などを執筆したが、「種の起源」は1859年11月22日に発売された。
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