2009年12月18日
「グラーフ・ツェッペリン」世界周航時の乗船客(7)
1896年4月にアテネで第1回オリンピック大会が開催されたが、そのとき開会宣言を行ったのがギリシャ国王ゲオルギウス1世であった。
そしてゲオルギウス1世と王妃オルガの末子として1888年にロシアのパヴロフスクで生まれたのがクリストフォロス王子であった(写真)。
彼は青年時代に、ポルトガル、リトアニア、アルバニアから国王にと打診されたが、王族の義務よりもピアノを弾くことを好み、これらを辞退している。
クリストフォロスは1920年にアメリカ人女性ナンシー・スチュアート・ワシントン・リーズと結婚した。
ナンシーはギリシャ・デンマーク女王アナスタシアを名乗っていたが、ナンシーには前夫と死別、離別の履歴がある平民であったために結婚まで6年の歳月を要したと言われている。
彼女は2度目の夫から莫大な遺産を相続した大富豪であったために1920年代に亡命を余儀なくされたギリシャ王室はナンシーの財力を頼って生活していたという。
クリストフォロスとの間に子供はなかったが、彼はナンシーの先夫との子ウィリアムと養子縁組をし、姪にあたるクセニア王女(クリストフォロスの姉マリア・ゲオルギエヴナの娘)と結婚させた。
そのウィリアム・ベートマン・リーズが「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航に乗船したのである。
1921年10月9日にパリで結婚式を挙げ、ニューヨーク、ロングアイランドのオイスター・ベイ、ケンウッドに住み社交界の花形であったと言われている。
1925年2月25日に娘、ナンシー・ヘレン・マリー・リーズが生まれたが、ウィリアム・リーズは「グラーフ・ツェッペリン」に乗船した翌年クセニアと離婚した。
「グラーフ・ツェッペリン」には携行品の重量制限があったのに強引にグラモフォンの蓄音機を持ち込んで、ジャズをかけていたことは語りぐさになっている。
後日、リーズ氏はレークハーストで「ヒンデンブルク」が爆発炎上した事故の際、財団の基金で運営され、原則的に百万長者を対象とした「ハークネス・パヴィリオン」病院にレーマン船長、プルス船長と、のちに船長になるザムト航海士を呼んでいる(レーマン船長はハークネス・パヴィリオンに移送される前に亡くなった)。
ちなみに、クセニア王女はピョートル1世から数えて11代目ニコライ1世の第一皇子ロシア大公の3男ゲオルギーとギリシャ王女の間に生まれている。
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