2009年12月12日
*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***
「グラーフ・ツェッペリン」世界周航時の乗船客(4)
アメリカ海軍からは、もう1人乗船していた。
リチャードソン少尉である。
おそらくチャールズ E.ローゼンダール中佐の副官のような立場だったのであろう。
リチャードソン少尉はアメリカの億万長者の遺産相続人ウィリアム・リーズ氏と同室になった。
彼は船内持込携行品の重量制限が20キログラムであったにもかかわらずグラモフォンの蓄音機を持ち込んで、一悶着起こした。
初日からサロンでグラモフォンを鳴らし、大阪朝日の特派員、北野吉内は軽薄にもチャールストンを踊ったという。
1937年5月にレークハーストに着陸寸前に「ヒンデンブルク」が炎上し、乗客・乗員に多くの死傷者が出たが、そのときリーズ氏は自分の費用負担でレーマン船長とプルス船長とザムト航海士を収容されていたレークウッドの病院から財団の基金で運用され百万長者のみを扱うハークネス・パヴィリオンに呼んでいる(レーマン船長は移送するまえに亡くなったが)。
写真はサロンで記念写真に収まる7名の乗船客である。
左からリチャードソン少尉(米海軍)、ローゼンダール司令(米海軍)、メヒアス博士(スペイン)、ヨアヒム・リカルド大佐(スペイン)、ビル・リーズ氏(アメリカ)、レーマン船長(DELAG)、それに極地探検家のヒューバート・ウィルキンス卿(イギリス)。
"「グラーフ・ツェッペリン」世界周航時の乗船客(4)"へのコメントはまだありません。