2009年12月11日
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「グラーフ・ツェッペリン」世界周航時の乗船客(3)
アメリカ政府代表のローゼンダール中佐は、世界周航の大スポンサーであるハースト新聞の首席特派員、カール・フォン・ヴィーガント氏と同室になっていた。
彼はアメリカ海軍の飛行船乗りである。
ドイツのハイトクライマーをプロトタイプとしてフィラデルフィア航空廠で建造されレークハーストで組み立てられた「ZR1:シェナンドア」が1925年9月3日にオハイオ州を航行中、乱気流に巻き込まれて、船体が空中で3つに分解し、13名の犠牲者を出した事故があった。そのとき若いローゼンタールは「シェナンドア」に乗り組んでいてその惨事を生き延びた一人であった。
(アメリカ海軍が予定船名「ZR2」としてイギリスに発注した「R38」は、これより先に4回目の試運転中に墜落し、アメリカ海軍の艤装員14名を含む49名が死亡している。)
ローゼンダールはドイツが第一次大戦の賠償としてアメリカ海軍に納入した「ZRⅢ(LZ126):ロサンゼルス」の司令を務めていた。
後日談になるが、米国海軍飛行船隊司令としてレークハースト海軍飛行船基地の傍に住んでいたローゼンタールは、第二次世界大戦後、時の大統領と飛行船の運用についての意見が一致せず、退役した。
そのときアメリカ海軍飛行船隊は、司令の退役を惜しみ運用できる飛行船を集結して飛行船の空中分列式を挙行したと伝えられている。
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