2009年11月29日
映画「台湾人生」
今月16日のことである。
久しぶりに映画館に行き、映画「台湾人生」を見た。
日本人として教育を受け、日本の敗戦により置いて行かれ、大陸から来た外省人のもとで2・28事件をはじめ、白色テロに怯え、38年間も戒厳令下におかれた台湾の人達のドキュメントである。
登場している人達は1925〜1928年生まれの楊足妹さん(1928年生まれ)、陳清香さん(1926年生まれ)、塔立国普家儒様(サンズイ)さん(1928年生まれ)、宋定国さん(1925年生まれ)、簫錦文さん(1926年生まれ)などである。
塔立国さんはパイワン族出身で立法(国会)議員を15年務めた立志相伝の人であるが、撮影時末期ガンを患っていて、この映画の完成を見届けて他界している。
最後の言葉はパイワン語でも台湾語でも北京語でもなく日本語で、看取った家族には判らなかったという。
楊さんは幼い弟の守をするために小学校を1年で辞め、いまでも旧正月に子供達が帰ってくるのを楽しみに現役で茶摘みをしている。
陳さんはいまでも夫との会話は日本語であるという。彼女は「男だったら特攻隊に志願した」と言い、いまでも「台湾人の国」建設を目指して運動している。
宋さんは公学校の担任だった小松原先生に戦後30年以上経って再会し、先生が不治の床につくと来日して一週間病院に詰め、その後も毎年墓参を欠かさないという。
簫さんは日本兵としてビルマ戦線で戦い、戦後は2・28事件で拷問を受け、白色テロで弟を亡くし、いまは台湾総督府と2・28記念館でボランティア解説員を務めている。
あの戦争では台湾の人達も、すべてを残して引き揚げざるを得なかった日本人も犠牲者であるが、台湾の人達や引き揚げた日本人は大陸や半島の人達と違って声高に被害の弁償を主張しなかった。それを良いことに日本政府は謝罪や償いを先送りしていると思う。
はたしてそれで良いのだろうか?
この映画は某公共TV局と違って、編集に作為も感じられなかった。
完成後に、関係者を招いて台北で完成報告上映会をやった酒井充子監督は「台湾での上映会を実現するまで、わたしの『台湾人生』は完成しない」と言っているそうである。
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