2009年11月25日

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「グラーフ・ツェッペリン」世界周航時の乗客

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「グラーフ・ツェッペリン」が1929年に挙行した世界周航に乗船した乗客は殆どが通過各国の政府代表と新聞社・通信社の特派員で、実際に乗船料を支払って乗ったのは2人だけであったという。

フリードリッヒスハーフェンからフリードリッヒスハーフェンまで乗船したのは
シェール出版のエシュヴェーゲ・リヒベルク氏(Heinz von Eschwege-Lichberg)と
 ペルクハマー氏(Heinz von Perckhammer)、
ウルシュタイン出版のカウダ博士(Gustav Kauser)、
マタン社のレーシュ氏(Gerville-Reache)、
ハンブルクのドイツ海洋研究所の気象学者ザイルコフ博士(Dr. Seilkopf)、
マドリードのヨアヒム・リカルド中尉(Joachim Rickard)、
チューリヒの退役陸軍中佐クリストフ・イセリン中佐(Christof Iselin)、
マドリードの医師ヘロニモ・メヒアス博士(Geronimo Megias)、
フランクフルト新聞のマックス・ガイセンヘイナー氏(Max Geisenheyner)の9名、

レークハーストからレークハーストまでは
ハースト新聞のグレース・ドラモンド=ヘイ女史(Grace Drummond-Hay)と
 カール・フォン・ヴィーガント氏(Karl von Wiegand)、
極地探検家のヒューバート・ウィルキンス卿(Hubert Wilkins)、
写真家のロバート・ハートマン氏(Robert Hartmann)、
米海軍のチャールズ E.ローゼンダール中佐(Charles E. Rosendahl)と
 ジャック・リチャードソン中尉(Jack Richardson)、
アメリカ大富豪の遺産相続人ウィリアム・リーズ氏(William B. Leeds)であった。

フリードリッヒスハーフェンから霞ヶ浦まで乗船したのは
ロシア政府代表のカルクリン氏(Karklin)、
日本政府代表の藤吉直四郎海軍少佐、
大阪朝日新聞の北野吉内氏、
大阪毎日新聞の圓地与四松氏、

霞ヶ浦からロサンゼルスまでは
日本政府代表の草鹿龍之介海軍少佐、
柴田信一陸軍少佐、
電通の白井同風氏が乗船した。

エシュヴェーゲ=リヒベルク氏とペルクハマー氏はフリードリッヒスハーフェンからレークハーストに行き大西洋を往復したといわれており、乗船料を支払って乗船したのはリーズ氏とイセリン中佐であったと思われる。

なお、同船の乗客定員は20名であるがドラモンド=ヘイ女史はツインを一人で使うため、ザイルコフ博士は乗客区画ではなく、主船体の士官室で就寝していた。

レークハーストからフリードリッヒスハーフェンに帰港する際も2〜3名、士官室に居住していた模様であるが、それが誰なのか不詳である。


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