2009年11月16日

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未来の旅客用飛行船を考える(24) 1930年代のキャビンサイズ、公室

LZ127_Accomo_1.jpg

実際に1930年代に運航されていたツェッペリン飛行船の一般配置図も、アコモデーションプランも残されているので、これらの乗客区画に与えられていた空間を具体的な寸法や面積で求めることは比較的容易である。

しかし「LZ120:ボーデンゼー」、「LZ121:ノルトシュテルン」、「LZ126:ZRⅢ(ロサンゼルス)」は旅客運送用飛行船として設計され、建造されたが乗客区画にキャビンは設けられて居らず、客船と言うより長距離列車の旅客用車両のような開放型ボックス客席であった。
個室キャビンが設けられていたのは「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」、「LZ129:ヒンデンブルク」それに「LZ130:グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」の3隻のみであった。

「LZ127」はダイニング兼用ラウンジの後方両舷にツインキャビンが5室ずつ設けられていた。

「LZ129」はAデッキの左右にダイニングルームやラウンジを設け、その外側をプロムナードとしたため、新造時の乗客用キャビンはインサイドに4列、25室のツインキャビンが設けられていた。
1936年に北米航路10往復、南米航路7往復運航した後、改造されてツインを8室と4人部屋が設けられた。
改造前の乗客用区画はリング173からリング188の間に収められ、キャビンは上層Aデッキの中心線側に設けられていたが、増設されたキャビンはリング173からリング156.5までの後方Bデッキ(下層)の右舷舷側に設けられており、4人部屋はその後端であった。

「LZ130:グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」は主要寸法は「LZ129」と同型であったが、アメリカ議会がヘリウム供給を認めたため、静的揚力が10%低下するヘリウム船として設計が見直された。
内装は乗客定員を40名に減じて改めて設計が行われた。
ヘリウム船となるため喫煙室はAデッキの舷側に設けられ、ダイニングルームは船体中心線上に置かれ、乗客用キャビンはインサイド16室、外舷4室のツインキャビンとなった(しかし、ドイツ側ではフランクフルトにヘリウムの精製装置や予備貯蔵庫まで建設したが、合衆国内務大臣イッキースが反対したため、ヘリウムの輸出は夢と終わった)。

「LZ130」に続いて、乗客定員を100名にした拡大型の「LZ131」と「LZ132」が建造されることになった。
「LZ131」は遅くとも1939年12月には完成させるように建造工事が進められたが、第二次世界大戦勃発のため幾つかリングが出来たところで中止され解体された。
この「LZ131」のアコモデーションプランがどのようなものであったか是非知りたいものである。

実際に建造された飛行船の乗客用キャビンの広さを図面から拾ってみると案外狭いことが判った。
「LZ127:グラーフ・ツェッペリ」のツインキャビンで幅が1.7メートル足らず、奥行きは2メートルを少し超える程度で、寝台列車の個室寝台といった感じである。
面積は4平方メートルもない。
昼間は上段ベッドは上に跳ね上げられ、下段がソファーになる。
キャビン内面には壁紙が張られており、窓にはカーテンもある。窓際には折り畳みテーブルがあり、折りたたみ椅子と小物を入れておく戸棚があった。
「LZ129:ヒンデンブルク」では冷水と温水の出る流しが設けられていたが「LZ127」ではまだついていなかった。
面積にして4平方メートルよりやや狭い。
ダイニングに近い部屋から船尾側に行くにつれて側壁が内側に寄ってくるので床の水平部分が狭くなっていた。

「LZ127」では客船の公室にあたるスペースは25平方メートルもないダイニング兼用ラウンジのみであったが、「LZ129」では通路まで含めると長さ15メートルにもなるダイニングルームのほか、ラウンジ、読み書き室、喫煙室、バー、洗面所、シャワールームの他にAデッキ両舷には広く明るいプロムナードがあった。

ついでながら「LZ129」の乗客担当の乗組員は、チーフスチュワードのハインリヒ・クービスのほかスチュワード4名、バーテンダー1名、スチュワーデス1名、船医1名、シェフ1名、コック2名、パティシエ1名と10名以上乗務しており、スチュワード2名のキャビンは乗客用増設キャビンに隣接したリング173の近くに置かれていた。

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