2009年11月03日

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未来の旅客用飛行船を考える(17) 事例分析(8:アメリカの硬式飛行船)

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アメリカで最初に建造された硬式飛行船「ZR1:シェナンドア」が、フランスで強制着陸させられたドイツのハイトクライマー「LZ96:L49」を参考にして建造されたことは、イギリスの「R36」の場合と同様であった。

フィラデルフィアの海軍航空廠で設計・建造され、レークハーストの格納庫で組み立てられた。

アメリカは不活性ガス、ヘリウムを生産する唯一の国であったため「シェナンドア」の浮揚ガスにはヘリウムが使用された。

「シェナンドア」は1923年9月4日に進空している。
絶対安全な飛行船として初飛行から、翌日で満2年になる1925年9月3日にオハイオ州で風により船体が3つの部分に吹きちぎられて乗員43名中、14名が犠牲者になった。
このときの司令ランスダウンの名は、大戦中に建造された米駆逐艦の艦名に名付けられた(駆逐艦ランスダウンは横浜から日本側全権団を戦艦ミズーリに送り届けている)。

そして「ZR2」となるはずであった2隻目はイギリスに発注された「R38」でことは前回述べた通りである。

その「R38」が墜落したあとで、ドイツ側から第一次大戦の戦時賠償金の代わりに新造飛行船を提供すると申し出があったのでこれを受け入れ「LZ126:ZRⅢ」が建造されることになった。
エッケナー博士等の手で大西洋を渡り、レークハーストで浮揚ガスをヘリウムに入れ替えられた。これが「ZR3:ロサンゼルス」である。
ヴェルサイユ条約で軍事用飛行船の建造は禁止されていたため、旅客用飛行船として建造され、アメリカ海軍の受領委員4名が同乗していた。
アルバート・ザムトら古参乗組員はレークハーストに留まり、米海軍の飛行船乗務員の養成にあたっている。

この「ロサンゼルス」(1924年8月27日初飛行)は1932年6月30日に最終飛行を行い、1939年10月まで保管されていた。

アメリカで軟式飛行船を作っていたグッドイヤー・タイヤ・ゴム社は、ドイツのツェッペリン飛行船製造社と合弁で、アクロンにグッドイヤー・ツェッペリン社を設立した。

そこに、カール・アルンシュテルンを筆頭に13名の技術者が派遣され「ZRS4:アクロン」、「ZRS5:メーコン」が建造された。

直衛戦闘機を数機収容できるこの姉妹船は洋上哨戒、索敵に大いに期待されたが、共に就役2年を迎えることなく洋上に墜落した。

アメリカ海軍もドイツほど気象関係情報を重視していなかったのではないだろうか?

それ以外の国では、フランスのゾディアック社が1913年4月に一隻だけ硬式飛行船を建造し、初飛行後改造しているが12月にテスト飛行を行ったほかに殆ど運用されることはなく翌年8月に解体されている。


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