2009年10月31日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

未来の旅客用飛行船を考える(14) 事例分析(5:DELAG隆盛期)

LZ11.jpg

「LZ11:ヴィクトリア・ルイゼ」と「LZ13:ハンザ」は、ともにDELAGが運用したが、「LZ10:シュヴァーベン」が f型と呼ばれるのに対して、この2隻は g型と呼ばれる。
全長がさらに大きくなり、エンジンも145馬力3基から170馬力3基に増強されている。

「ヴィクトリア・ルイゼ」は1912年2月14日に進空し、その日から1914年7月31日までDELAG船として運航され、その間に489回飛行し、2995人の有料乗客を含む9738人を乗船させ、981時間20分の航行時間で54312キロメートルを飛行している。
そしてドイツがロシアに宣戦布告した1914年8月1日から「ヴィクトリア・ルイゼ」は陸海軍の練習飛行船となった。
それ以前からDELAG船には陸海軍の士官と下士官が訓練生として何度も乗船しており、第一次大戦を契機に陸軍に30隻以上、海軍に60隻以上引き渡された軍用飛行船搭乗員が養成されたのである。

「ヴィクトリア・ルイゼ」は1915年10月18日に着陸の際リーグニッツ格納庫に当たって損傷し、解体された。

エッケナー博士達はDELAGに飛行船乗員養成所を開設し、気象学・静力学・動力学・構造強度などを教育し、海員養成課程を受けていない者についてはハンブルクの商船学校で3ヶ月課程を受講させていた。
大戦が始まった1914年に海軍飛行船部隊が創設された。
エッケナー博士は志願して、義勇飛行船船長となり海軍の飛行船乗りの教育を委嘱された。
博士は理論と実技の両面から飛行訓練を行ったが、訓練飛行は北海で行われ訓練用飛行船で北海の偵察飛行にも出動している。

さらに、海軍飛行船隊の司令となったペーター・シュトラッサーを技術・運用の両面で指導することを要請された。
これは50隻を超える海軍飛行船と千人を超える搭乗員の訓練に責任を委ねられたのである。
このためエッケナー博士のもとへは海軍飛行船の技術面・運用面における全ての知識と経験が蓄積され、運用面のみならず継続して建造されている飛行船の設計にも反映されることになった。
ツェッペリン伯爵と巡り会っていなければ学者・教育者になっていたであろうエッケナー博士の人格は乗員養成にうってつけであった。

「LZ13:ハンザ」は1912年7月30日に進空し、1914年7月31日までDELAGで399回の飛行を行い、有料乗客2187人を含む8321人を乗船させ、840時間40分、飛行距離にして44437キロメートルという実績が残されている。

同船も第一次大戦に陸軍に動員されたが1916年の夏、解体された。

「LZ17:ザクセン」は海軍飛行船「LZ14:L1」、陸軍飛行船「LZ15:ZⅠ代船」、「LZ16:ZⅣ」、「LZ19:ZⅠ代船(Ⅱ)」、「LZ20:ZⅤ」とともに h型に分類されているが主要寸法は微妙に異なっている。
「ザクセン」は1913年5月3日に初飛行しているが、その後船体延長工事を受けている。
DELAGでの運航回数は419回、有料乗客2465人を含む9837人を乗せて741時間、39919キロメートルと記録されている。

これらの乗船人数には「ヴィクトリア・ルイゼ」と同様、陸海軍の訓練生が含まれている。
「ザクセン」も大戦が始まると陸軍船として従軍し1916年の秋、デュレンで解体された。

その後、DELAGの運航する飛行船が建造されたのは、第一次大戦の敗戦後「ザクセン」の建造から6年以上後のことである。


Comment on "未来の旅客用飛行船を考える(14) 事例分析(5:DELAG隆盛期)"

"未来の旅客用飛行船を考える(14) 事例分析(5:DELAG隆盛期)"へのコメントはまだありません。