2009年10月24日
未来の旅客用飛行船を考える(10) 事例分析(1:初めての試行)
最初の硬式飛行船「LZ1」は3回の試験飛行ののち、解体された。
伯爵は硬式飛行船は気球のなかに外形を保持するためのフレームを入れただけのものであり、着陸させるには強度が不足すると考えていたようである。
それで「LZ1」はボーデン湖上の水上格納庫で組み立てられ、飛翔する前にタグボートでバージの上に引きだされた。
降下させるときも湖上に慎重に下ろし、バージ上で支援員が飛行船から下げられた曳航索を掴んで水上格納庫に収容した。
1900年7月2日の午後、初めて飛翔したときの滞空時間は18分足らずであったという。
その後、必要な補修をおこなって10月17日(80分)と10月21日(23分)に試験飛行を行ったのちに解体され、カール・ベルクから無償で提供されたアルミニュームは返納された。
フーゴー・エッケナー博士が飛行船を見て、フランクフルター・ツァイトゥンクに署名入りの記事を書いたのは2度目の飛行である。
この試験飛行のために設立された会社も清算され、2隻目を建造するまでにそれから5年を要している。
「LZ2」は1905年11月30日に水上格納庫から引き出すときに破損して、最初で最後になる飛行を行ったのは翌年1月16日であった。
舵とエンジンの故障でアルゴイのキスレグまで漂流した。
マンツェルからは直線距離で40キロメートルの山間部である。
そこで初めて地上への降下が試行されたが、うまく着地することが出来た。
しかし、地上に固縛された「LZ2」は強い雷雨により損傷し(見出しの写真参照)、解体された。
この解体作業を現地で指揮した伯爵は「もう飛行船は造らない。」と言ったと伝えられている。
しかし「LZ2」のエンジンなどを流用して建造された「LZ3」は政府が買い上げてくれ、陸軍飛行船「ZⅠ」となった。
まだ、エンジンの信頼性も乏しく、姿勢や進行方向を操るより風に操られている状況であった。
この「LZ2」のフレーム構造は見よう見まねでルートヴィヒ・デューアが設計したものであるがアルミの型材を組み合わせて、いわゆる三角断面フレームが初めて採用されている。
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