2009年10月10日
ツェッペリンの未成飛行船「L100」と「LZ125」
第一次大戦終了直後にフリードリッヒスハーフェンのツェッペリン飛行船製造社で計画され、未成で終わった飛行船のなかで「L100」と呼ばれていたものと「LZ125」が有名である。
これについて独英米の資料を調査中であるが、ある程度状況が判ってきた。
このような調査では、該当飛行船を特定するためにツェッペリン飛行船製造社で建造が確定した飛行船には「LZ-」で始まる一連の建造番号が付けられていたことを確認しておく必要がある。
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なぜなら、海軍飛行船に引き渡されたツェッペリン飛行船には「L1(建造番号:LZ14)」のように「Lナンバー」が付されており、最後に引き渡された「LZ113」は「L71」となった。
「L72(建造番号:LZ114)」はフリードリヒスハーフェン工場で完成していたが海軍に引き渡される前に終戦を迎えている。
建造中であった
(「LZ116」は「L73」、「LZ117」は「L74」、「LZ118」は「L75」と海軍飛行船になるはずであったが終戦のため、未成状態で解体されている。)
陸軍飛行船の命名は混乱を極め、ドイツ陸軍が敵を欺瞞するために建造番号「LZ42」を陸軍飛行船「LZ72」などと30を加算した船名で呼ぶものがあったり、「LZ34」、「LZ35」、LZ37」、LZ38」、「LZ39」のように建造番号と同じ船名であったり、それ以前は「ZⅠ(建造番号:LZ3)」、「ZⅡ(建造番号:LZ5)」「ZⅡ代船(建造番号:LZ9)」、「ZⅢ(建造番号:LZ12)」、「ZⅠ代船(建造番号:LZ15)」、「ZⅣ(建造番号:LZ16)」、「ZⅠ2代目代船(建造番号:LZ19)」、「ZⅤ(建造番号:LZ20)」、「ZⅥ(建造番号:LZ21)」、「ZⅦ(建造番号:LZ22)」、「ZⅧ(建造番号:LZ23)」、「ZⅨ(建造番号:LZ25)」、「ZⅩⅡ(建造番号:LZ26)」「ZⅩ(建造番号:LZ29)」、「ZⅩⅠ(建造番号:LZ30)」であったり、連合軍側だけでなく後のツェッペリン研究者をも混乱させる原因になっている。(陸軍は連合軍側が燐酸による焼夷弾を使うようになって飛行船の運用を諦めたため陸軍飛行船は「LZ120(建造番号:LZ90)」が最終船であった。)
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イギリスの硬式飛行船研究家の一人、ピーター・ブルックスはツェッペリン飛行船では海軍の発注により「L100」として1918年6月に容量7万5千立方メートルの飛行船を建造中であったが、9月に10万立方メートルに変更されたと述べている。
そして直後の10月にキャンセルされたとしているが、彼の著述によるとエンジンは10基以上装備されることになっていたという。
グッドイヤー・ツェッペリンの主任設計者であったカール・アルンシュタインの伝記(When Giants roamed the Sky :Karl Arnstein and the rise of airships from Zeppelin to Goodyear :Dale Topping )の巻末付録には建造番号「LZ115」と「LZ119」の船名をともに「L100」としており、「LZ115」はガス容量7万5千立方メートル、エンジン6基、「LZ119」の方はガス容量10万8千立方メートル、エンジン10基となっている。
これは明らかにおかしい。
同書でも建造番号「LZ116」を「L73」、同「LZ117」を「L74」、同「LZ118」を「L75」としているのに建造番号「LZ115」が「L100」となるはずがない。
グッドイヤー・ツェッペリンからフリードリッヒスハーフェンに派遣されていたハロルド・ディックはその著書の中でツェッペリン飛行船製造社は「L100」を「LZ125」に再生させようとしていたと述べている。
おそらく、アルフレート・コルスマンがアメリカに大西洋を横断可能な新造飛行船「LZ125」の売り込みに行ったときに、建造中止となった「L100」の資材を極力流用しようとしていたのであろう。
しかし、ドイツの飛行船建造能力を抹殺しようとしていた英仏の抵抗によりこの計画は実現することはなかった。
そして間もなくコルスマンが引退し、フーゴー・エッケナーが1922年にツェッペリン飛行船製造社の総支配人になった後、アメリカに対する戦時賠償金の代わりに新造飛行船「LZ126(ZRⅢ、後のロサンゼルス)」を建造することが認められた。
「L100」は「アメリカ船」とか「10万立方メートル船」とか呼ばれていたようであるが、郵便兼用高速貨物船と前部にステートルームを設けた旅客船の2種類が設計されたようである。
私は「LZ124」が郵便兼用高速貨物船で、「LZ125」が旅客船であったのではないかと思っている。
見出しの図面はクラインハインス教授の著書に掲載されていたもので註に「6万立方メートル」の文字が読み取れる。
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