2009年10月09日
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近代的旅客用飛行船の系譜(10) 休戦協定直後に出現した新型飛行船(8)
1919年8月20日、21日に「LZ120:ボーデンゼー」の試験飛行はラウ船長の指揮で行われた。
「LZ1」、「LZ2」など試運転は、フェルディナンド・ツェッペリン伯爵が指揮していたが、隻数が多くなるとルートヴィヒ・デューア(昇降舵手兼務)、ベルンハルト・ラウ船長(昇降舵手、航海士)、ゲオルク・ハッカー船長(方向舵手、航海士)、カール・シュタール主任技師(搭乗技師)、シュヴァルツ軍曹(飛行主任)、カスト軍曹(搭乗技手)、ラブルダ操機手(機関保守)などが乗船していた。
1909年から世界大戦の始まる1914年までのDELAG船長一覧にはフーゴ・エッケナー博士、ルートヴィヒ・デューア博士(1、2隻のみ)、W.E.ドエア工学士、G.ハッカー船長、ブロイ船長、E.A.レーマン工学士、E.レンパーツ博士、A.ハイネン船長の名が上がっている。
(ちなみに1919年当時、DELAGの飛行船指揮者にはH.エッケナー博士、H.C.フレミング船長、A.ハイネン船長が居り、乗務技師にK.ボイエルレが居た。)
ベルンハルト・ラウは1907年にドイツ海軍からツェッペリン飛行船製造社に入社しており、1908年に「LZ4」の試験飛行にも乗船し、エヒターディンゲンに不時着したときも乗務していた。
その後、1918年までツェッペリン飛行船の工場試運転に乗船しており、ほとんどの飛行で指令を務めている。
DELAGの飛行船で乗客を乗せた飛行には乗務して居らず、1920年にはツェッペリンを退社していたため、それほど知られていない。
初飛行というのは2度目以降に較べて危険性は桁違いに大きいことは、飛行機と同様であるが、彼は新造飛行船の試験飛行に誇りと喜びを感じて乗務していたのである。
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