2009年09月12日

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インターネットの恩恵に感謝

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私は淡水(台湾)の生まれである。
父は唐津郊外の田舎から単身渡台して教員をしていた。

淡水河と対岸の観音山を正面に見る見晴らしの良い高台に、淡水街の公会堂があった。
単身の若い教師達はその公会堂で夕食を食べていたという。

そこを経営していた「公会堂の小母さん」に一人娘が居た。
仲介する人が居て結婚することになった。
内地から親族を呼んで台湾神社で結婚式を挙げた。
それが私の両親である。

結婚した2人は坂下の、街役場に近い新店の黒川さんという塩屋の2階に住んでいた。
父の書き残してくれた回想によると、3間あって広廊下あり、ベランダありのとても住み心地の良い家であったという。

お産が近くなってからは公会堂に帰って、私はそこで生まれた。
そのあと、我が家は龍目井(河沿いの地名)に移転して、妹はそこで生まれた。

終戦で引き揚げて以来、台湾に行くことは考えられなかった。
帰国後はじめて台湾に行ったのは1995年3月「飛鳥」で屋久島・沖縄・台湾を巡るクルーズに乗ったときである。
家内の体調が万全ではなかったので基隆から淡水までタクシーで往復した。
それでも家内は紅毛城の辺りや、老街を楽しそうに見て歩いた。

その次に行ったのは娘と2人で、クルーズ船「ぱしふぃっくびいなす」の2002/3年の年末年始クルーズである。
高雄から基隆への途中の洋上で新年を迎えた。

それからは毎年のように生まれ故郷の淡水を訪れている。

今年は3月に行った。
今回はじめて台湾国内の旅客機や、淡水のバスに乗った。
ブログに載せたらコメントを貰った。
それを縁に、CHM さんと LC さんと今週Eメールの交信が始まった。
彼らは私のことを淡水人と、仲間扱いしてくれた。

これもインターネットが普及し、誰でも連絡出来るようになったお陰である。
ありがたい時代である。

もし、あの当時のまま平和な時代が続いていたら、CHM さんや LC さんと町内会で談笑していたかも知れない。

これからも、このご縁を大事にして行きたいと思っている。

Comment on "インターネットの恩恵に感謝"

初めてお便りします。アメリカのLC氏とは30年来のメル友です。
船も好きで暇を見てはフェリー連絡船なども含め日本中の船に乗ってます。勿論飛鳥も就航の年から毎年乗ってます。