2009年08月15日

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1914年8月15日:パナマ運河開通

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1914年8月15日にパナマ運河が開通した。

当初パナマ地峡を開削する計画は、スエズ運河を開通させたフェルディナンド・レセップスが1880年に始めたが、難工事とマラリアや黄熱病のために1889年に挫折してしまった。

その後、アメリカ合衆国が閘門式運河として建設した。
ガトゥン湖の湖面が海抜26メートルもあるからである。
日本製の電車が船舶を牽引するこの閘門の大きさにより通過可能な船舶の主要寸法が制限されている。
大西洋と太平洋にのぞむ米海軍のアイオワ型戦艦や、キュナードの客船クィーン・エリザベス2などはこの運河を通過可能な幅に抑えて建造されたが、後年建造されたP&Oの客船オーロラはライフボートデッキの上のデッキを主船体より横に張り出して建造している。

現在の閘門の近くに大型閘門を建設する計画が決定され、完成後は通過可能な船舶の全長が294メートルから366メートルに、船幅は32.3メートルから49メートルに、喫水は12メートルから15メートルまで許容されることになる。
(これは、いわゆる第2パナマ運河計画とは別件である。)

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