2009年08月03日
己丑台湾紀行(4) 花連・太魯閣
花蓮は戦前、街の名も駅も花蓮港と呼ばれていた。
台湾の東方海岸で太平洋が広がっている。
宿舎はなだらかな丘の中腹にあり、部屋から街の家並み越しに穏やかな太平洋が見えた。
海上の水平線上に雲が出ており、海からの日の出を見ることは出来なかったが良い日になりそうである。
ホテルの向かい側はハイスクールで、校舎から生徒たちが校庭を巡って集まっている。
朝礼なのであろう。
朝食は1階の洋食レストランである。
高さ12メートルの窓ガラス越しに広い庭園が見晴らせる。
この庭には散歩道のほかゴルフ場、屋外プール、屋内プール、滝、クライミングウォールなどがあるという。
ロビーに降りるとガイドさんが待っていた。
専用車で花蓮の街を抜け、太魯閣渓谷に行くのである。
街中に大きな石屋が軒を並べている。
その一軒に立ち寄った。
ガイドポイントになっているらしく、老ガイドが詳しく説明してくれた。
日本の関ヶ原に、関ヶ原石材という工場があって見学したことがあるがそのときの説明では世界一の石工場であると説明を受けたと思うが、それと同規模の石屋が並んでいた。
約20キロばかり北上すると太魯閣国家公園の入り口である。
太魯閣は台湾を代表する景勝地である。
かつて珊瑚礁の海底が隆起して出来たものと言われている。
建築石材の大理石だけでなく翡翠など高価な石を多く産出し、大きな土産物屋もある。
写真は撮ったが、渓谷があまりに大きいので写真では表現しきれない。
この写真も左辺の観光客がいなければその規模は判らない。
前日が雨だったので下に濁水の流れている。
大雨が降ると水かさが増すだけでなく落石も多くガイドも怖いと言っていた。
高いところに建っているのは修業の庵であろうか?
下には落石よけの庇が見える。
太平洋岸から20キロ峡谷を登ったところにある慈母橋である。
ここまで車両一方通行(旧道は通行禁止)などを車で通ったり、車を降りて歩いたりしながらやって来た。
ガイドさんは「あの石が蛙に見える」とか「亀にそっくり」とか言いながら案内してくれた。
途中に大断崖や九曲洞などを通ったが、耶馬溪の青洞門などとはスケールが違う。
岩壁には修業のための尼寺もあった。
振り返ると深い峡谷であることが判る。
このあたりは3500メートル級の山が連なっており、雪山は台湾で玉山に次ぐ高い山で標高は富士山より高い3886メートルである。
173号線という路線番号や、落石注意の標識があるがあまり意味がないかもしれない。
さらに分け入った天祥というところに地質景観展示館があった。
そこに立ち寄ってハーブティーを頼んだ。
鮮やかな色のハーブティーに蜂蜜を入れて飲むのである。
屋内外にテーブルがあり、庭から階段で展望台に上がると展示館の正面である。
対岸には吊り橋で渡るらしい。
この長春祠は国民党政権が動員して殉職した人たちの慰霊を祀った祠だという。
帰途、台湾郷土料理で昼食を済ませた。
ここは翡翠、瑪瑙、大理石などを扱う土産物屋の2階である。
何か買って欲しそうだったので、知人の土産に大理石の小物を2,3買って帰った。
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