2009年06月21日

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「クィーン・エリザベス2のFDC」(切手:1)

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今日では世界中に通信網が構築され、テキストや画像、それに音声を含む動画も簡単に送受信することができるようになった。しかし、戦前は外航汽船や飛行船、飛行艇を含む飛行機にとって郵便物の運送は重要な仕事であった。
当時の事例として先日、横浜のN氏から送られてきた「グラーフ・ツェッペリン」世界周航時のマイクロフィルムのハードコピーに、東京(霞ヶ浦)からロサンゼルス(マインス・フィールド)まで同乗取材した電通特派員白井同風記者が発進1〜2時間後に伝書鳩を放ったことが載っていた。

大西洋を往復する各国の汽船は、郵便を運送することを名目に政府から多額の補助金を交付されていた。キュナードの汽船は船名の前にRMS(ロイヤル・メール・シップ)と麗々しく掲げ、船尾の旗竿には商船旗のレッド・エンサインではなく、官船旗ブルー・エンサイン(ロイヤル・ネービーの艦船はホワイト・エンサイン)をはためかせていた。
1929年にデビューした北ドイツロイドの高速客船「ブレーメン」は処女航海で20年イギリスが保持していたブルーリボンを奪還したが、ニューヨーク入港の18時間前にハインケルHe12型水上機をカタパルトから発進させて郵便物を先に届けたことは世界中に報道されたものである。

飛行船「グラーフ・ツェッペリン」が同年、世界周航を行ったときはアメリカのハースト新聞が大スポンサーとなって実現したが、残りの経費は航空郵便料金で賄っている。その2年後北極探検飛行をした際には、フランツ・ヨーゼフ・ランドに待機していたロシアの砕氷船「マリギン」と郵嚢交換を行ってその飛行の運航資金に充当した。

飛行機が定期運航を始めた頃は郵便飛行が主要業務であった。大西洋を単独無着陸飛行して一躍有名になったチャールズ・リンドバーグも郵便飛行士の一人であった。

ドルニエ・ヴァルなどの飛行艇が、大西洋上に中継船を配置してまでヨーロッパと南米間を定期運航したのも郵便を届けるためであった(中継船が定期点検のため、本国に戻っているあいだ、ツェッペリン飛行船が郵嚢を積んで肩代わりしている)。

船舶・航空機をデザインした切手は多く、その中には特定の船/艇/機を描いたものも少なくない。

従ってこのブログに、切手や初便カバーを紹介するカテゴリを追設することにした。

第1回は、最後のパッセンジャー・ライナーといわれた「クィーン・エリザベス2」の初便カバーである。
1969年5月に処女航海でサウザンプトンからニューヨークへの船上で消印されている。

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