2009年06月14日
第一次大戦停戦からLZ124(ZRⅢ)までの間
ツェッペリンの飛行船に関して刊行されている書籍は多い。
特に「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」や「LZ129:ヒンデンブルク」に関しては、何月何日に何処から何処まで何をどれだけ載せたのか、そのときの乗務員の配置など非常に詳しく述べられている。
しかし、第一次大戦停戦直後から、賠償飛行船「LZ126:ZRⅢ(ロサンゼルス)」の建造、1924年の納入飛行までのあいだについては殆ど取り上げられておらず、数少ない記述についても不正確なものが含まれている。
ツェッペリン飛行船につけられた建造番号(LZ番号)は建造が確実なものに限って符番されており、大戦中に欠番となった「LZ70」以外は第二次大戦開戦のため建造が中断された「LZ131」まで、外観図や基本要目があったはずである。
また、ドイツでは第二次大戦後の日本のようにこれらの図面や仕様書、写真などを消却隠滅することはなかった。
5月29日の本欄で紹介したクラインハインスの絶筆となった「LZ120/LZ121」はその意味で非常に貴重な資料である。
熟読して行くうちに、終戦のため未成で終わった「LZ115」「LZ116」、「LZ117」、「LZ118」、「LZ119」がそれぞれ「L100」、「L73」、「L74」、「L75」、「L100」であったことが判明した。
(「LZ115」も「LZ119」も「L100」と呼ばれていたが仕様は大きく異なる。)
「L100」とともに謎の飛行船であった「LZ125:アメリカ船」が建造に至らなかった経緯もおぼろげながら判ってきた。
あとは「ヒンデンブルク」型の拡大版であり、建造中止となって解体された「LZ131」の一般配置図と仕様が知りたいものである。
[見出しは同書から転載した「LZ121:ノルトシュテルン」のアコモデーション]
それにしても、ヴェルサイユ条約の条文が確定するまで時間がかかったとは言え、その間に「LZ120:ボーデンゼー」を完成させ、差し押さえられるまで定期運航したゲルマン魂には深い感慨を覚える。
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