2009年03月23日

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飛行船四方山話(135): DELAGが運航した最初の飛行船

コルスマンは偉大な経営者であった・・。

[区分] 一般・歴史
[難易度]中級

[問題]
DELAGが運航した最初の飛行船は次のうちのどれでしょうか?

 1. LZ6
 2. LZ7:ドイチュラント
 3. LZ8:ドイチュラント(Ⅱ)
 4. LZ10:シュヴァーベン

LZ6.jpg

[答] 1

[解説]
1900年7月に初めて飛翔し3回の飛行の後解体された「LZ1」も、1906年1月にただ1回の飛行で漂流し損傷して解体された「LZ2」も、1907年に24時間連続飛行を試行中にエヒターディンゲンで炎上した「LZ4」も試作船でした。
エヒターディンゲンの事故の後陸軍に納入されて「ZⅠ」になった「LZ3」は「LZ2」の準同型であったし、「ZⅢ」として陸軍に引き取られた「LZ5」は「LZ4」の同型でした。
これらに対して、実用的飛行船第1号と言うべき飛行船が「LZ6」です。

ツェッペリン伯爵がアルミニューム製造業者カール・ベルクの娘婿であるアルフレッド・コルスマンを経営者として招き入れ、コルスマンはツェッペリン飛行船製造社と飛行船運航会社DELAGを設立しました。

陸軍は「LZ3」、「LZ5」を引き取りはしたものの持て余し気味で、飛行船を作ってもそれを運航する機関はどこにもなかったのです。
考えたコルスマンはDELAGを株式会社として設立しました。
バーデン・オース、フランクフルト・アム・マイン、デュッセルドルフ、ハンブルクなど大都市に株主になって貰い、各地に格納庫を建設させ、遊覧飛行や都市間で運航しようとしたのです。
後に伯爵の後継者となるエッケナー博士は、広報担当役員として各地の市長に飛行船の現状と将来の夢を説明し、沢山の都市から申込みを受けました。
「LZ6」は乗組員7名、乗客10名で、DELAG運航の第一船になりました。
この様な運航で、陸海軍を含めた乗組員の養成も行いました。
後に陸海軍用に100隻以上の飛行船を建造できたのも、その要員養成が出来たからです。
もう一つ、この「LZ6」はツェッペリン飛行船建造史上大きな意味があります。
マイバッハエンジンの搭載です。
それまでの飛行船にはダイムラーのエンジンを搭載していました。「LZ6」も1909年建造当初はダイムラーの115馬力エンジン2基を搭載していましたが翌年延長工事を行ったときに第3のエンジンとしてマイバッハの140馬力エンジンを追設したのです。
ウィルヘルム・マイバッハは、彼がいなければこんにちのダイムラーはないといわれるほどの人物でしたが、そのW.マイバッハが息子カールとともにツェッペリン伯爵の飛行船のためにダイムラーを辞めマイバッハ・モーターを設立し、そのマイバッハエンジンが飛行船の原動機になったのです。

「LZ6」は3週間の飛行で、34回、66時間の飛行を行い有料乗客726人を含む1100人を乗せて飛びましたが、整備中に火災で焼失しました。


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