2009年03月13日
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飛行船四方山話(125): 霞ヶ浦の飛行船格納庫
これが在ったから世界周航で「グラーフ・ツェッペリン」は日本に来た・・。
[区分] 設備・格納庫
[難易度]中級
[問題]
霞ヶ浦海軍航空隊にあった飛行船格納庫は、移設前にはどこにあったのでしょうか?
1. 日本海軍が新たに建造した
2. フリードリッヒスハーフェンのレーヴェンタールに建設されていた
3. ノルトホルツのドイツ海軍飛行船基地にあった
4. ドイツ中部のユッターボックにあった
[答] 4
[解説]
日本は日英同盟のよしみで連合軍側で参戦しました。
このため、硬式飛行船一隻とユッターボックに建っていた飛行船格納庫が解体されて船積みし、日本に輸送されました。
その当時、日本海軍では横須賀の追浜に航空船隊がありましたが、飛行機と共存で手狭になってきたため賠償格納を霞ヶ浦に建設し、航空船隊を霞ヶ浦に移設しました。
当時、海軍では飛行船を航空船と呼んでいたのですが、後に航空母艦で編成された航空戦隊が新設された際に、コウクウセンタイでは混乱するため、飛行船 あるいは飛行船隊と改称することになりました。
ドイツから来た技術士官の指導で再建されていたときに関東大震災に遭っていますが、作業員が昼食のために降りていたため人的被害からは免れています。
この格納庫が使えるかどうか事前に調べた上で、世界周航の計画が発表されています。
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