2009年03月08日
飛行船四方山話(123): クール・ピエールフー
フランスもパリとツーロン近くに格納庫を維持していた・・。
[区分] 設備・格納庫
[難易度]中級
[問題]
「LZ127:グラーフ・ツェッペッリン」が2度目の訪米飛行を目指して出発し、途中エンジントラブルで不時着したクール・ピエールフーには本格的格納庫がありました。
ここを基地としていたフランスの硬式飛行船はどれでしょうか?
1. スピース・13型(ゾディアック製)
2. 未命名(ツェッペリン製造番号LZ83:旧独陸軍LZ113)
3. ディズミュード(旧LZ114:旧独海軍L72)
4. メジテラネ(旧LZ121:ノルトシュテルン)
[答] 3
[解説]
フランス海軍はマルセイユに近いツーロン軍港近郊のクール・ピエールフーに格納庫を設置してドイツから戦時賠償として受領したディズミュード(旧LZ114:L72)の基地にしていました。
LZ114(L72)は、終戦直前にシュトラッサー中佐が座乗して英本土空襲に向かい撃墜されたL70(LZ112)と同型の最新型でしたが、完成前に未成状態で終戦となりました。
試験飛行はエッケナー博士の指揮で1920年7月9日に実施されています。
博士達はこれをアメリカ向けの輸送用飛行船としてアメリカに飛ばそうと準備を進めましたが、ヴァイマール政府によって差し止められました。
7月10/11日に戦時賠償としてフランスのモーブージュまで移送されました。
ガスセルなどを大改装して1923年夏に就役しています。
同年9月25日からフランス本土、サハラ砂漠などの上空で118時間41分という滞空世界記録を樹立するなど活躍していました。
同年12月18日に52名を乗せてサハラ砂漠に向かい、21日夜半地中海上空で暴風に遭い爆発しました。
そのあとクール・ピエールフーの格納庫は空き屋状態だったのですが「グラーフ・ツェッペリン」がエンジン1基のみでたどり着いたときは基地のフランス海軍の支援に助けられたとザムトは著書のなかで述べています。
その著書でザムト船長たちは慰霊碑を訪ね犠牲者に花輪を捧げたと書いていますが、犠牲者の数が59名と記されています。
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