2009年02月15日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

飛行船四方山話(102): 飛行船の事故犠牲者

Lakehurst_disaster1.jpg

ヒンデンブルクの事故が有名であるが・・。

[区分] 一般・歴史
[難易度]初級

[問題]
何隻かの硬式飛行船が事故を起こし、犠牲になった人命も少なくありませんでした。
次に挙げる事故のうち、最も犠牲者の多かったのはどれでしょうか?

 1.1937年5月6日にレークハーストで炎上した「ヒンデンブルク」(独)
 2.1930年10月5日にフランスで墜落した「R101」(英)
 3.1923年12月21日に北アフリカで空中爆発した「ディズミュード」(仏)
 4.1933年4月4日に大西洋に墜落した「アクロン」(米)

[答] 4

[解説]
硬式飛行船の大惨事といえば、1937年5月にレークハーストで起きた「LZ129:ヒンデンブルク」の事故がよく知られていますが、飛行船事故の犠牲者の数では5番目です。

一番犠牲者の多かったのは米海軍の飛行船「ZRS4:アクロン」で、乗組員76名中、通りかかったドイツの貨物船に救助されたのは3人だけでした。
犠牲者の中には米海軍飛行船隊司令のモフェット提督も含まれています。
ヘリウム船で爆発の心配がなかったからか、信じられないことに救命具が搭載されていなかったと言われています。

二番目はフランスの「ディズミュード」で、司令官を含む52名全員が亡くなっています。
同船はドイツ海軍のL72(製造番号:LZ114)でしたが、戦時賠償でフランスのモーブージュに空輸され、ツーロンの傍のクール・ピエールフーに配備されていました。
長時間の周回飛行を何度か繰り返し、118時間41分という滞空時間も記録するなど活躍していました。
1923年12月18日、地中海を越えてサハラ砂漠に向かったあと、雷雨に遭い遭難したものと認められました。

三番目はイギリスの「R101」です。
1930年10月にトムソン卿など要人を乗せてカラチ(当時インド)を目指す「R101」は最初の寄港地イスマイリア(エジプト)に向けて飛び立ちました。
しかしパリ北方の丘陵地帯に墜落炎上し、後部のエンジンゴンドラに乗っていた8人を除く48名が犠牲になりました。

四番目は回答群には含まれていないイギリスの「R38」の墜落事故です。
「R101」と同じく、カーディントンの官営飛行船工場で建造された「R38」は試運転終了後、米海軍に引き渡されて「ZR2」になるはずでした。
この事故で、乗船していた49名中44名が亡くなっていますが、そのうち15名は米国海軍の艤装員でした。
犠牲者の中には主任設計者C.I.R.キャンベルも含まれています。

五番目がレークハーストで、待ち受ける報道陣の実況している前で炎上した「LZ129:ヒンデンブルク」です。
乗員61名、乗客36名中、それぞれ22名、13名が犠牲となりました(レーマン船長とヴィッテマン船長は乗客として乗船していましたが乗員に含めています)。

六番目は乗員43名中14名が犠牲になった米海軍のヘリウム飛行船「ZR1:シェナンドア」です。
同船は初めてヘリウムで浮揚した硬式飛行船でした。

Comment on "飛行船四方山話(102): 飛行船の事故犠牲者"

"飛行船四方山話(102): 飛行船の事故犠牲者"へのコメントはまだありません。