2009年01月20日

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飛行船四方山話(76): グラーフ・ツェッペリンの訪問地(2)

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今回は南米・・。

[区分] 運航・発着場
[難易度]初級

[問題]
グラーフ・ツェッペリンは、その生涯で74回の航行を行っていますが、そのうち63回は南米航路で、その多くはリオ・デ・ジャネイロを目的地として航行していました。
次の地点のうち、同船が着陸していないのは何処でしょうか?

 1. ペルナンブコのレシフェ
 2. ブエノスアイレス(アルゼンチン)
 3. リオ近郊のサンタクルス
 4. モンデヴィデオ(ウルグアイ)

[答] 4

[解説]
南米航路を開設した当初、補給・整備のためにペルナンブコのレシフェに繋留柱や補給用ガスタンクを設置して、ここを拠点にしています。
当時、リオ・デ・ジャネイロには繋留柱も格納庫もなかったので、乗客と貨物・郵便物を積み卸しするためにレシフェを離陸してリオに短時間着地していました。
後に、リオ郊外のサンタクルスに「ヒンデンブルク」も収容できる格納庫がドイツの会社によって建設され、「ヒンデンブルク」はその航続距離を生かしてヨーロッパから直接飛来することもありました。
南米航路は、もともと1920年にスペインとアルゼンチンとのあいだに開設しようと計画されました。南米には多くのドイツ人移民が住んでいました。
飛行船でリオ・デ・ジャネイロまで行くと、そこから先はDELAGの代理店でもあり、ルフトハンザとも密接なコンドル航空が運航していました。
アルゼンチンのブエノスアイレスには、1934年3回目の南米飛行でリオ・デ・ジャネイロから往復しています。
ウルグアイのモンテヴィデオは、そのとき上空を飛びましたが着陸はしていません。

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