2009年01月10日
飛行船四方山話(66): 1937年の運航予定
もし、あの事故がなかったなら・・。
[区分] 運航・予定
[級] 中級
[問題]
DZRが発表した1937年の運航計画によれば、「グラーフ・ツェッペリン」、「ヒンデンブルク」によるフランクフルトからレークハーストあるいはリオ・デ・ジャネイロへの旅客運航はそれぞれ何回予定されていたでしょうか?
1.北米10往復、南米16往復
2.北米14往復、南米18往復
3.北米18往復、南米15往復
4.北米18往復、南米20往復
[答] 3
[解説]
1937年のスケジュールではフランクフルト・レークハースト間はすべて「ヒンデンブルク」で運航されることになっており、5月3日にフランクフルトを出発する便から11月5日にフランクフルトに帰港する便まで18往復を行うと発表されていました。
フランクフルト・リオデジャネイロ間は3月16日にフランクフルトを出発する便から10月23日に帰港する便まで15往復が予定されていましたが、その第1便と7月19日出発の第9便のみ「ヒンデンブルク」で、そのほかの13便は「グラーフ・ツェッペリン」が充てられていました。
1935年に「グラーフ・ツェッペリン」は南米航路で16往復しており、「ヒンデンブルク」が就航した1936年には両船で20往復しています。
「ヒンデンブルク」は就航した1936年に北米に10回往復しています。
このスケジュールにはマルクで表示された航空運賃が載っていますが、6歳以上の子供料金は大人と同額とか、シングルユースの料金はツイン料金の8割以上とか、あまり安くしていなかった様です。
ドルで支払う場合の料金はハンブルク・アメリカ・ライン(HAPAG)か北ドイツロイト(NDL)に問い合わせるようにとあるので、この両社を代理店としていたようです。
また、10月27日には建造中であった「LZ130」がリオ・デ・ジャネイロに向けて処女航海に出発するが、出発地点はフリードリッヒスハーフェンかフランクフルトか未定となっています。帰りは11月1日にフランクフルトに帰着するとなっているので、建造工程遅延の場合はフリードリッヒスハーフェンから出発することも考えられていたのでしょう。
しかし、レークハースト事故の原因究明や、その後の安全対策などで「LZ130」が初飛行を行ったのは1938年9月14日のことでした。
「ヒンデンブルク」が南米第1便を済ませたあと北米第1便で事故を起こしたので、事故調査が終わるまでエッケナー博士は旅客運送を認めず、そのあとの飛行は見送られました。
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