2008年12月21日
飛行船四方山話(46): 飛行船事業設立資金
ツェッペリン飛行船事業の源泉・・。
[区分] 歴史・資金
[級] 初級
[問題]
私財をなげうってツェッペリン伯爵が開発した硬式飛行船が事故に遭って無一文になったときに寄せられた資金で、ツェッペリン飛行船製造社と運航会社DELAGを設立することが出来ました。
その資金は、次のうちのどれでしょうか?
1. ヴュルテンベルク王とプロシアから認可された富くじ
2. 王家からの下賜金
3. エヒターディンゲンの事故でドイツ全土から寄せられた寄付金
4. 伯爵家の土地を抵当にした借財
[答] 3
[解説]
最初の飛行船「LZ1」建造のために、権威のあるドイツ技術士協会(VDI)に計画を申請し、1896年に認可されて飛行船運航助成会社が設立されましたが、資本金の半分以上は伯爵自身が出資しています。
この会社は1900年に行われた「LZ1」の3回の飛行が終わったあと飛行船を解体し、会社も清算して解散しています。
その後、伯爵は開発を継続するためにVDIに再三申請しましたが認可されませんでした。
1903年に寄付を依頼する6千通の依頼状が発送されましたが、総額は1万マルクにもなりませんでした。
それでも1905年に「LZ2」の建造を始められたのは国王とプロシアが富くじを許可してくれたおかげです。
その「LZ2」は1905年11月30日に試験飛行を行うために水上格納から曳き出されたとき突風に遭い実験は失敗に終わりました。
翌年1月17日に最初の浮揚に成功しましたが、舵の故障とエンジンの不調でアルゴイのキスレグまで飛ばされてしまいました。
着地には成功したものの、固縛されていた「LZ2」は嵐で破損し、解体されました。
「LZ2」のエンジンその他を流用して建造された「LZ3」は8時間連続飛行を達成するなど順調に推移し、ようやく世間に認められるようになりました。
次の「LZ4」はスイスへの12時間飛行にも成功し、国家が飛行船買い上げの条件としていた24時間飛行を実施することになって、1908年8月4日にフリードリッヒスハーフェンを離陸しました。
シャフハウゼン、バーゼル、シュトラスブルク、マンハイム、マインツまで行きそこで引き返しました。エンジンの不調でシュトットガルト近郊のエヒターディンゲンで着陸し、ダイムラーの工場に代わりのエンジンを取りに行かせました。
そのとき、飛行船に火がついて燃え上がってしまいました。
これを聞いたドイツ中の国民から、その日のうちに寄付金が寄せられ、数日で寄付金は6百万マルクを超えました。
これがエヒターディンゲンのツェッペリン義捐金です。
この資金でツェッペリン飛行船製造社と、飛行船運航会社DELAGが設立されたのです。
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