2008年12月18日
飛行船四方山話(43): 飛行船を降りて追いかけた乗組員
[区分] 運航・世界周航
[級] 初級
[問題]
歴史上最も有名な航空機は硬式飛行船「グラーフ・ツェッペリン」で、そのなかでも世界周航がよく知られた大飛行ですが、そのある区間では乗組員の一部が下船して別便で本船を追っています。
それはどの区間ででしょうか?
1. フリードリッヒスハーフェン・東京(霞ヶ浦)間
2. 東京(霞ヶ浦)・ロサンゼルス間
3. ロサンゼルス・レークハースト間
4. レークハースト・フリードリッヒスハーフェン間
[答] 3
[解説]
1929年8月1日に「グラーフ・ツェッペリン」はフリードリッヒスハーフェンから世界一周の起点であるレークハーストに飛び立ちました。
8月7日の夜、レークハーストを発ってフリードリッヒスハーフェンに向かいました。
ここで整備を行い、8月15日の早朝フリードリッヒスハーフェンから飛行船格納庫のある霞ヶ浦に出発しました。
レークハーストを起点・終点とする世界一周は「アメリカの世界一周」、フリードリッヒスハーフェンからフリードリッヒスハーフェンの飛行を「ドイツの世界一周」と呼ばれていました。
フリードリッヒスハーフェンから霞ヶ浦までの区間は乗客20名を乗せ、乗員は41名乗務しています。
霞ヶ浦に先遣されていた乗船技師、カール・ボイエルレはここから機関士として乗船しています。
8月22日に格納庫から引き出す際にトラブルが生じ、破損部分を修復して23日の午後太平洋を東に向かいました。
日付変更線を東に越えたので8月24日を2回迎えています。
8月25日の夕刻、サンフランシスコ上空に達し、夜南下して寄港地であるロサンゼルスに向かいました。
夜が明けるまで微速航行して上空に待機して、地上支援員の準備が整うのを待って着陸しようとしたのですが、夜間地表が冷えていて着陸するために千立方メートルという大量の浮揚ガスを放出しました。
しかもこの基地には補充するために必要な水素が充分になく、このためバラスト水などを極限まで減らし、それでも浮揚できないので乗組員の一部を飛行機でレークハーストに向かわせたのです。
離陸時、高圧線を曲芸のようにかわしてなんとか浮揚することが出来ました。
指揮していたエッケナー博士は、このときが一番危険な状況であったと述懐しています。乗客もこの区間だけ17名しか乗せていません。
乗客といえば、レークハースト・フリードリッヒスハーフェン間は23名という記録がありますが、定員20名の飛行船の何処に乗せたのか、その資料に記載はありません。
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