2008年12月11日
飛行船四方山話(36): 最初の中東飛行でエジプト上空飛行が不許可になった理由
[区分] 運航・中東飛行
[級] 初級
[問題]
「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」は1929年3月と1931年4月にオリエント飛行を行っていますが、1929年の飛行ではエジプトに着陸の許可が下りませんでした。なぜでしょう?
1. 英国が「R101」を最初にエジプト訪問する飛行船としたかったため
2. エジプトの治安が良くなかったから
3. ドイツ政府が外交的見地から自粛したため
4. 着陸要員の見通しがつかなかったため
[答] 1
[解説]
イギリスの官・民の総力を挙げて建造した大型旅客用硬式飛行船「R100」、「R101」が初飛行したのは1929年の12月と10月でした。
イギリスは「R101」で当時植民地であったエジプトを経由して、同じく植民地であったインド(現在はパキスタン)のカラチへの飛行を計画していました。
そのため、エジプトの人達が初めて見上げる大型飛行船が「R101」になるように「グラーフ・ツェッペリン」から申請されていたピラミッド上空飛行などに許可を与えませんでした。
その時のオリエント飛行ではコートダジュール、リビエラからローマ上空を経由してナポリ、クレタ島、ハイファ、エルサレム、死海、アテネを遊覧してアルプスを越えウィーン、ミュンヘンをまわってフリードリッヒスハーフェンに帰っています。
エッケナー博士はこのときローマ上空からムッソリーニに無線電報で挨拶を送っています。
「R101」は空軍大臣や民間航空局長などの要人を含む乗員乗客54名でカーディントン飛行船基地を出発したのですが、フランス中西部のボーヴェー近郊の丘に激突して48人の犠牲者を出しました。
この事故でイギリスは硬式飛行船に見切りをつけて、成功作であった「R100」も解体されてしまいました。
「グラーフ・ツェッペリン」の2度目のオリエント飛行は1931年4月ですから、イギリス政府も上空飛行や着陸許可を出しています。
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