2008年12月07日

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飛行船四方山話(32):ヒンデンブルクに乗っていた飛行船船長

LZ129atLakehurst.jpg

「LZ129:ヒンデンブルク」大惨事に乗り合わせた飛行船船長たち

[区分] 運航・最後の飛行
[級]  中級

[問題]
「LZ129:ヒンデンブルク」は1937年5月、最初のアメリカ行き飛行で、レークハーストに着陸直前に爆発炎上しました。
その飛行には、乗客として2人の飛行船船長が乗船していました。そのうちの1人は火傷を負って亡くなりました。亡くなったこの船長は誰でしょう?

 1.アントン・ヴィッテマン船長
 2.エルンスト・レーマン船長
 3.マックス・プルス船長
 4.アルバート・ザムト船長

[答] 2

[解説]
このとき、指揮を執っていたのはヒンデンブルク3代目のマックス・プルス船長でした。初代指令はエッケナー博士、2代目指令はエルンスト・レーマン船長でした。
このとき乗客として乗船していたのはレーマン船長とヴィッテマン船長です。
アルバート・ザムトは、当時一等航海士でレークハーストのマストに繋船するときの操船当直でした。ザムトは火傷を負ったのですが回復して、その年の9月15日に飛行船指令(船長)に認定され、1938年11月5日にヒンデンブルクの姉妹船「LZ130:グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」の指令に任命されています。
飛行船が高度100メートルで繋留索を投下し、地上支援員がマストに曳いているときに後部から炎上しました。
このとき、レーマン船長もプルス船長とともに操舵室にいましたが、火傷を負い翌日亡くなりました。
この飛行には、エドゥアルド・ボエティウスが操舵手として乗務していましたが、彼は「ヒンデンブルク炎上(原題:Phenix aus Asche)」の著者ヘニング・ボエティウスの父親でボエティウスは父の話をよく聞かされていたので船内状況などをリアルに再現しています。
ヒンデンブルクは、この大惨事までに37回大西洋を横断し、33万キロを飛び3千人の乗客を乗せています。

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写真はレークハーストの繋留マストと出火直前のヒンデンブルク

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