2008年10月17日
スペシャリストとジェネラリスト
飛行機がまだ海のものとも山のものとも判らない時期に、飛行船を開発し初めて航空事業を開拓して運航に携わった先人の書籍を読んでいる。
読んでいて、あの頃は自分の担当する職務に責任を持って当たっていたことがよく判る。
アルバート・ザムトは飛行船で重要な索の取り扱いから、ガス嚢の担当となり、方向舵手・昇降舵手を経て航海士になり、船長資格を獲得し、ツェッペリン最後の硬式飛行船 LZ-130:グラーフ・ツェッペリン(2代目)の指令を務めた。
ボイエルレは乗船技師で、船体構造強度・各種装備の整備に当たっていたが、LZ-127:グラーフ・ツェッペリン(初代)の世界周航の際は事前に霞ヶ浦にやってきて、万一に備えて準備を行い、太平洋横断に出発する際のトラブルもそのために数時間の補修で済ませることが出来た。
彼の場合は、そのまま首席機関士として飛行船に乗り込んで母港まで帰投している。
要は各人が、自分の全身全霊をその仕事に打ち込んで居たのである。
それでこそ男子の本懐というものであろう。
スペシャリストというのは、ジェネラリストとしての常識の上に立つ専門家であることを忘れては存在できない。
最近の技術屋は、設計・現場と分かれており、設計は船体、機関・電気とはっきり分かれ、船体部でも性能に責任を持つ基本設計、構造・艤装など生産設計とどんどん細分化されそのごく狭い範囲のことから外れると何も判らず、大所高所に立っての判断や決定が出来るものが殆どいないことを考えると感嘆するばかりである。
小生も若い頃、造船技師であったが先輩は、早朝まだ工作部の担当者や工員が来ないうちから現場に出て、重要な個所のチェックをしていた。
その先輩は、重要な部分の溶接は溶接工に任せておくのではなく、自分で納得の行くようにやるべきであると言っていた。
何をやっても、系全体を考えて判断し、方針を決定し実行できる人物が必要であると考えている。
いまは政治家(?)も役人も、企業の経営者も各層管理者や担当者も狭い目先のことしか考えず、言い訳ばかり考えているような気がする。
新卒が金融業や商社などへの就職を希望する傾向もこれに無関係ではないと考える。
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