2008年10月02日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

LZ120:ボーデンゼー

LZ120stamp.jpg

1918年11月に第一次大戦が終了し、1919年6月にヴェルサイユ条約が調印され、1920年1月に発効した。

その間に、ドイツの硬式飛行船や格納庫はは連合国側に引き渡され、新しい飛行船の建造は禁止された。

霞ヶ浦の格納庫はユッターボックにあったものを解体・移設したものであり、このとき日本には飛行船LZ75も解体の上、海上輸送されている。

1920年に、LZ109、LZ113はイギリスへ、LZ83、LZ114はフランスへ、LZ90、LZ106はイタリアへ送られ、アメリカには新たにLZ126(ZRⅢ:後のロサンゼルス)が遅れて納入されたことはよく知られている。

エッケナー博士達、ツェッペリン飛行船製造社では硬式飛行船の火を消すまいと手持ちの飛行船を旅客用に改造してアメリカとの間に運航させようとワイマール政権に持ちかけているが自信のない当局に却下されている。

その状況下で手持ちの資材で旅客用小型飛行船を建造し、1919年8月20日に完成させたのである。
1900年に初めて浮揚したLZ1の長さは128mであったが、新飛行船LZ120の長さはそれより短い120.8mであった。
20人の乗客用区画と軽食や飲み物も用意されていた。

このLZ120:ボーデンゼーでフリードリッヒスハーフェン・ベルリンのあいだを104日間に37回飛行し、飛行あたり平均乗客数は28人であった。

LZ120は後に船体を10m延長され、1921年には同型船LZ121:ノルトシュテルンも建造された。
北欧との定期航路を開設しようと目論んでいたのであるが、このノルトシュテルンはフランスに、ボーデンゼーはイタリアに賠償として取りあげられてしまった。

しかし、このLZ120によって戦後型硬式飛行船の形式が確立し、アメリカ海軍向けのLZ126(ZRⅢ)で改良を加え、さらにLZ127を渡洋旅客飛行船のプロトタイプとしてエッケナー博士の「夢の乗り物」の実現に向けて歩んだのである。

その意味で、小型船ながらその存在意義は大きなものであった。

Comment on "LZ120:ボーデンゼー"

"LZ120:ボーデンゼー"へのコメントはまだありません。