2008年08月29日
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「野球と其害毒」
1911(明治44)年8月29日から9月22日まで、東京朝日新聞は「野球と其害毒」という記事を掲載したという。
内容は著名人の野球を批判する談話・論説や全国中学校長を対象としたアンケート結果などである。
その中で新渡戸稲造は
「野球という遊戯は悪くいえば巾着切りの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、ベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが、英人やドイツ人には決してできない。野球は賤技なり、剛勇の気なし」
と書いている。
新渡戸稲造の文言も面白いが、朝日新聞は日本高等学校野球連盟とともに全国高等学校野球選手権大会を主催しており、その大会の前身である全国中等学校野球大会の第1回がその記事の4年後に開催されていることを見ても、ブンヤさんの体質は昔からそうであったかと苦笑させられる。
この連載は、当時の異常な野球熱もさることながら、その年 大阪毎日新聞が東京日々新聞を買収し東京に進出してきたので自らの存在を示すために行ったという説もあるのである。
(毎日が朝日に対抗して始めた春の大会「選抜」の第1回は1924年)
保護されている珊瑚に傷を付けてカメラマンが写真に撮り「だれだ!こんなことをしたのは」などと掲載したことがあった。
目立ちたいだけでこんなことをすることを「マッチ・ポンプ」という。
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