2008年08月21日

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「二十一世紀に生きる君たちへ」:司馬遼太郎

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司馬遼太郎が平成元年(1989年)版の小学校六年生の国語教科書に書き下ろした『二十一世紀に生きる君たちへ』という文章には
「昔も今も、また未来においても変わらないことがある。」として
「そこには空気や水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。(中略)人間は自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。(中略)人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」
とし述べられている。

何だか耳の痛いはなしである。
いま、人間は自分たちの欲望を満たし、富を増やすために科学技術を振り回して力ずくで押し通そうとしていないだろうか?

航空に関しても、軍用機や大型ジェット旅客機はその具体例のように思えてくる。
沢山のジェット機が今日も化石燃料を燃やて炭酸ガスを噴している。

フーゴー・エッケナー、ルードヴィヒ・デューアなどの事績を調べて行くうちに、彼らが自然に立ち向かうのではなく、如何に自然と協調していたのかが判るような気がしてきた。

あの、夢の乗り物と言われた「ヒンデンブルク」が就航の翌年レークハーストで炎上し、アメリカ海軍の「シェナンドア」が建造の翌年墜落、「アクロン」も「メーコン」も建造後3年目に墜落しているにもかかわらず、「グラーフ・ツェッペリン」が9年もの就役期間中に人命にかかわる事故もなく無事に退役できたのは、自然をあなどらないエッケナー博士の処世訓によるものであろうと考えている。

写真は5年前に司馬遼太郎記念館を訪れたときに撮影した書斎である。


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