2008年08月17日

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クラーモント号初航行

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アメリカ生まれの肖像画家、ロバート・フルトンがイギリスに渡ってベンジャミン・ウェストの弟子になり、蒸気船や潜行艇、それに繋留機雷などを発明して「アメリカの発明家」になった話は彼の誕生日である(2007年)11月14日に紹介した。

1807年の今日、8月17日はフルトンの蒸気船「クラーモント」がハドソン河を初めて航行した日である。

しかし、フルトンが駐仏米公使リヴィングストンの支援を受けて開発した「ノース・リバー・スティームボート・オブ・クラーモント」は初めて航行した蒸気船ではなかった。

1802年3月にイギリスのフォース・クライド運河で、この運河の所有者ヘンリー・ダンダス卿は長さ17m、幅5.5m、深さ2.4mの蒸気船「シャーロット・ダンダス」を完成させ、3〜4ヶ月、運河曳船として運航させていたのである。

しかし、運河会社の役人と荷船の船頭が、蒸気船のたてる波が岸を洗い、土手を壊すと苦情を訴え、ダンダスは娘の名前を付けたその蒸気船を掘割に放置して世に知られることはなかった。
どのくらい運河に影響を与えたか判らないが、おそらく失業を恐れての言いがかりであろう。

フルトンは稼働中の「シャーロット・ダンダス」を観察し、大いに啓発されたという。
彼は先駆者ジョン・フィッチの蒸気船も目撃したと言う。


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