2008年05月25日
絵はがきと号外
この写真はツェッペリン伯爵が一人娘のヘラを飛行船に乗せて得意そうにしている有名な写真である。
ウォルフガング・フォン・ツェッペリン、ペーター・クラインハインス編集加筆になるザムト著「ツェッペリンに捧げた我が生涯」にこの絵はがきが載っており、経緯が判った。
この時に乗船したのはヘラとその母親イザベラ、それにイザベラの甥、デューア技師、マンツェルの仕上げ工3人と乗ったようである。
ザムトの本にイザベラ夫人の書いた絵はがきが載っていたのである。
これがその絵はがきである。
きれいな字で、ここから非常に几帳面な人だったことが判る。
飛行船名「LZ3」、乗船日1907年9月26日、乗船者の名前だけでなく、飛行船で訪れた街の名前を列記し、途中で「その前にロールシャッハにもリンダウにも行きました」と追記している。
「LZ3」は1906年10月9日に初飛行を行い、1907年9月24日から10月13日まで8時間連続飛行を含む8回の飛行を行っているから、その2回目か3回目のことであろう。
翌年6月には、次の「LZ4」でスイスへの12時間飛行に成功し、8月4日に24時間連続飛行に出動した。
これに成功すれば2隻の飛行船の代価として215万マルクが支払われることになっていたのである。
ところが好事魔多しというか、エンジンの過熱でシュトットガルト南方に不時着し、ダイムラーに代わりのエンジンを依頼して、待っている時に突風に煽られて炎上してしまったのである。
これはベルリンで発行されたローカル新聞の号外である。
現地通信員の電報のみで発行されたもので全焼の状況のみしか伝えていない。
このあと、2〜3日の間にドイツ全土から伯爵のもとに600万マルクを超える義捐金が寄せられ、この基金でツェッペリン飛行船製造とDELAGが設立され、食堂やスーパーマケット、酪農場やホールまで備えたツェッペリン村が作られたことはよく知られている。
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