2008年04月06日
4月6日
1909年の4月6日、アメリカ人探検家ロバート・ピアリーが北極点に到達している。
19世紀末から20世紀初めにかけて、極地探検が盛んに行われていた時代であった。
エッケナーもスペイン・南米・北米を回遊した有名な三角飛行で、レークハーストから「グラーフ・ツェッペリン」に乗船した探検家フーバート・ウィルキンス卿に持ちかけられて、1931年に同船で北極探検飛行を実施している。
ロバート・ピアリーは1891年から97年にかけて、4回もグリーンランド探検を行い、1898年に北極探検に挑戦するが失敗し、凍傷で足指8本を失っている。
1906年に4度目の北極探検で北極点まで280kmにまで到達した。
そして1909年の4月6日に、5名の仲間と共に北極点に到達したとされている。
これに対してクックが1908年4月21日に北極圏に到達していたと主張し、裁判の結果クックの訴えは退けられ、詐欺罪で収監された。
しかし、ピアリーが北極点としていた点は北緯89度57分であったことがその後判明している。
アムンゼンはイタリア人ノビレの半硬式飛行船ノルゲで1925年に北極点横断を行っている。
また1917年のこの日、アメリカがドイツに対して宣戦布告をしている。
当初、アメリカは第一次大戦に中立を宣言していたが、大戦が拡大し、ルシタニア号撃沈やUボートの無差別作戦などを受けて連合軍側について参戦したのである。
このため、アメリカは戦後 飛行船を賠償として引き取ることになった。
ところが、ドイツ海軍の飛行船部隊がスカパフローの艦艇自沈の話を聞いて賠償飛行船を爆破したため、80万ドルの賠償金を支払わなければならなくなった。
この交渉で、ドイツ側は80万ドルの代わりに新造飛行船を提供すると申し出て、ベルサイユ条約で禁止されていた3万立方mの倍以上の飛行船を建造し、アメリカに空輸したのである。
これが「LZ126:ZRⅢ(後のロサンゼルス)」である。
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