2008年03月30日

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春夕雨読

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今日も終日雨である。

傘をさして外に出るのも鬱陶しいので書斎で書見を決め込んでいた。

一昨日、街に出たときに偶然見付けて求めた本が面白い。

明成社刊「蒋介石神話の嘘」という本である。

著者の黄 文雄氏は台湾出身の文明史家、評論家で拓殖大学日本文化研究所客員教授である。
氏の著書は、数年前にWAC出版刊「台湾は日本の植民地ではなかった」を読んで、読みやすく面白かったので覚えていた。

カバーの[内容紹介]に
『戦後、多くの日本人は、蒋介石を「東洋道徳の権化」のごとく考えてきた。曰く「天皇制を護持してくれた」。曰く「対日賠償請求権を放棄してくれた」。曰く「支那派遣軍と在留日本人を無事に送還してくれた」云々。(以下略)』とあるが、台湾に在住し、敗戦後、個人の資産の全てを、千円と引き替えに、現地に残して引き上げてきた私の母も同じようなことを言っていた。

第一章「次男・蒋緯国遺書の謎」を読んでみたが知らない人名や書名が次々と出てきてよく判らなくなり、放り出そうと思った。
しかし、「蒋・宋・孔・陳」の中国四大家族が私利をむさぼりその結果、1937年からの4年間で貨幣価値が1千万分の1に落ちて革命が起きたあたりから話が理解できるようになり、そのまま読み続けている。

台湾の首都台北には、大理石で出来た巨大な中正記念堂があり、国内至るところに中正○○路などと名付けられた街路が走っており、桃園の国際空港も最近まで中正国際空港と呼ばれていた。
この「中正」は蒋介石の号なのである。

そればかりではない、至るところに4万基とも十万基とも言われる蒋介石像が立っていた。

蒋介石が亡くなって30年以上経過して、その神話が崩れはじめ、国際空港は「桃園国際空港」になり、中正記念堂は民主記念館と改名された。

表紙は、台湾各地で倒された蒋介石像を集めた桃園の慈湖記念彫塑公園のスナップである。

私はいま、20世紀前半のある事柄について調べ物をしているが、本人の著書、著名な研究家の著書も含めて文献調査の難しさを感じている。
この本を読んでさらにその思いを痛感している。

よく言われることであるが、人物や事実調べで、何が現実で、何が真実かを見極めることは難しい。

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