2007年11月06日

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(飛行船:469) プロパガンダ飛行に出発する「ヒンデンブルク」

LZ129pro.jpg

今日、Fさんから戴いた飛行船の絵はがきが届いた。

4枚組みで共通のタイトルは「グラーフ・ツェッペリンとLZ129」である。

「LZ127とLZ129」とか「グラフ・ツェッペリンとヒンデンブルク」でないのが面白い。
「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」は世界周航も含めて世界的に知られており、歴史上最も有名な航空機であったが、「LZ129:ヒンデンブルク」は1936年3月26日当日は、まだそれほど有名になっていなかった。
前年末に完成したばかりであった。

その4枚のなかに非常に貴重な写真があるのに気がついた。
それが36年3月26日と断定した根拠である。

実は今年、市内に住む友人から写真をメール添付で送られたことがある。
その2枚の写真は、その友人の父君がベルリンオリンピックに出場された折、スタジアムから自分のカメラで撮られたものだという。

その1枚が見出しの写真とほぼ同じアングルなので比較するために載せてみた。

LZ129Olym.jpg

これを見出しの写真と較べると下部垂直安定板と方向舵の一部が尻餅事故のために応急処置されているのが判る。

これは3月29日に行われる国民投票でナチスが必勝を期すためにゲッベルスがツェッペリンに頼んだ「グラーフ・ツェッペリン」との同時飛行であり、このとき「ヒンデンブルク」の船長をしていたエルンスト・レーマンが立会者の前でエッケナー博士に罵倒され、一番信頼されていたレーマンがエッケナー博士と気まずい関係になった。

そればかりでなく「世界中でも馬鹿馬鹿しいこの飛行」と言われたゲッベルスが怒ってエッケナーの代わりにレーマンを社長に据え、新聞にエッケナーの写真はおろか、その名さえ禁じると記者会見で各社に指示したのである。

この3月26日の写真は警備員がフィルムを抜いて破棄した筈であるのでこんな写真が絵はがきになっていることは驚きである。

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