2007年09月09日

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(飛行船:444) エッケナーという名のドイツ人(1) 書籍の紹介

Eckener_Zeichnung.jpg
(ニールス・グラーフ・ステンボックによる線画)

 この春、ドイツに行って眼にした書籍を入手した。
ツェッペリン伯爵およびエッケナー博士の研究者として著名なロルフ・イタリアンダーの著書「エッケナーという名のドイツ人」である。

 その書から少しずつ紹介しようと思う。
最初はカバーに載っていた紹介文である。

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 フーゴー・エッケナーは最も優れた飛行船運航責任者であった。1924年にアメリカへの賠償飛行船を空輸したことで世界的に有名になった。飛行船「グラーフ・ツェッペリン」と「ヒンデンブルク」により南北アメリカへの飛行や世界周航、それに北極探検飛行で、天才的に企画準備された計画による飛行は高い賞賛を受けた。エッケナー博士は単に飛行船指揮者であるだけでなく、探検家であり、外交官であり、経営者であり、また世界の航空輸送事業の開拓者でもあった。

 彼は1868年、フレンスブルクのタバコ製造業者の息子として生まれ、広い教養を身につけた。若い教養人として近代芸術、演劇、音楽、経済について執筆している。1900年にツェッペリン伯爵の実験を批評し、それが縁となって伯爵の力強い協力者になった。20年間にわたってエッケナー博士は「最も著名な同世代人」であり、1932年にはドイツ帝国の大統領候補となった。ナチ政権は彼を認めなかった。それにもかかわらず、彼は他の実業家と同じように「防衛経済経営者」になった。テオドール・ホイス(ドイツ連邦共和国初代大統領)、コンラート・アデナウアーおよびその他が彼を復権させた。エッケナーは、その死に至るまで平和政策者として活発に活動している。

 ロルフ・イタリアンダーは1925年にギムナジウムの生徒としてエッケナーと知り合いになった。彼の伝記は周到に用意され、熟知精通していて強く訴えかけるように記述されている。彼はエッケナーが帝政時代から連邦共和制に至る20世紀の優れたドイツ人であったことを示した。今日まで未公表のエッケナーの書状や文書を示して「頑固で喧嘩早い」ことを生々しく伝えてくれる。エッケナーはドイツ大統領エーベルト、ヒンデンブルクと同様にアメリカ合衆国大統領クーリッジ、フーバー、ルーズベルトとも親しく、またナンセン、バードのような探検家や、ゲアハルト・ハウプトマンやアルツール・ケストラーなど文筆家とも親交があった。エッケナーの活動的な生涯は全ての世代に訴えかけてくる!このロルフ・イタリアンダーのエッケナー伝記は、20世紀の世界史を通して我々の知識を豊かにしてくれる。
(多数の貴重な図版が掲載されている)

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