2007年09月08日
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(飛行船:443) アルバム第2集(写真:第19回) 写真29,30 −レニングラード−
[29枚目:レニングラード、聖イサーク寺院]
[30枚目:レニングラード、冬の宮殿]
「グラーフ・ツェッペリン」はフランツ・ヨーゼフ諸島から、ノヴァヤゼムリヤを経由して白海、カレリアの低地を通ってレニングラードに戻ってきた。
かつてのロシア帝国の首都、サンクトペテルブルクは当時革命の指導者レーニンの名をとってレニングラードと改名されていた。
現在はサンクトペテルブルクに戻されている。
日本では都市名や船名、艦名に人名を用いることは稀である。国によっては偉人や英雄と言われた人名を用いることがあるが、人物の評価は時代によって大きく変わる可能性があるので多用しないほうが良いと思う。ソビエト連邦の頃、スターリングラードという地名は「どこのスターリングラード?」と言うほど沢山あった。
聖イサーク寺院は、ピョートル大帝の守護聖人であったダルマチアの聖イサークにちなんで名付けられた。
ピョートル大帝の時代にヴァシリエフスキー島に聖イサーク教会が建てられ、1717年に元老院広場(デカブリスト広場)に移され、ソビエト政権の頃は博物館となっていた。
冬の宮殿は18世紀後半に建設された歴代皇帝の住居であったが、革命後付属の建造物とともに美術館(エルミタージュ美術館)となった。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエル、ミケランジェロ、ルーベンス、レンブラントなど膨大な美術品が収蔵されていると言う。
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