2007年08月13日
(飛行船:416) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(68)
(サンフランシスコ上空のグラーフ・ツェッペリン:Brigitte Kazenwadel-Drews著 "Zeppelin erobern die Welt" )
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世界周航(21)
一日中、霧か雲の中を飛び続け、ちょっと海面が見えただけで何も見えないのは辛かった。
乗客は、水平線まで続く 気の遠くなるように広い海を、大きな窓から眺めながら、偶然行き合った船を見ることは言うに及ばず、水面に輝く様々な色彩や、雲の波を眺めたりと楽しみを見つけていた。
飛行船が海洋を空高く航行することは、決して単調などではなく 常に楽しいことであった。
海や雲の、絵のような光景がいつもめまぐるしく展開しており、広い大洋を行く船のゆっくりした動きと対照的であったからである。
人はこのような飛行船のもたらす光景に明快な見方を持つべきであろう。
霧の中を航行するとき、このような魅惑的な展望が失われ、社交的に時を過ごすしかなかった。
これは、飛行船の中では難しいことではなかった。
充分に広い空間と歩き回る自由があるので、ゲームに興じたり会話を楽しむことが出来た。
乗客の多くにとっては、昨夜の午後11時に就寝したときに8月24日であったのに、夜のあいだに東経180度の国際日付変更線を越えて、次の朝8時に再び8月24日であったことは小さな感動であった。
たとえ些細なことであっても、幾人かの人にはそのまま受け入れにくいようであった。
8月25日の午後4時にアメリカ海岸が視野に入ってきた。
5時過ぎ、陸岸から陸岸まで67時間の飛行の後にサンフランシスコ湾のゴールデンゲートの上を通過した。
我々は誇るべき記録を作ったのである。
船上では、サンフランシスコ湾の美しさが様々な言葉で語られていた。
「ゴールデンゲート」の命名に特に理由はなかった。
高度500mで陸に向かって舵を取り、そこで信じられない光景を見て非常に感動して涙が出たほどであった。
海に沈みかけている夕陽は、海や陸や回りの山々を暖かい金色の光で満たし、素晴らしい絵を見せていた。
そして、この美しい街が我々に用意してくれた歓迎は壮麗としか表現出来なかった。
飛行機の編隊が我々を迎えてくれ、ゴールデンゲートを通過するまで随伴飛行していた。
港に在泊中の船舶は満船飾で汽笛を鳴らして歓迎し、街中の数千台の自動車はそれに合わせてクラクションを鳴らした。
この熱狂の歓迎を体感するために両目、両耳が必要であった。
何度もこのような歓迎を経験したが、雲と霧の中の長く単調な飛行のあとに受けたこの熱く美しい歓迎ばかりは私の心に忘れがたいものとして刻み込まれている。
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[註]ゴールデン・ゲート
エッケナー博士は「ゴールデン・ゲート」の命名に特に理由はないとしている。
1846年にジョン・C・フリーモントがこの海峡に命名したと言われている。
その2年後、カリフォルニアで起きたゴールドラッシュで米国中から一攫千金を狙った人達が押し寄せたので、ゴールデンゲートと命名されたと思っている人も多い。
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