2007年08月08日
(飛行船:411) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(63)
(シベリア東岸、アヤン港:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)
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世界周航(16)
緊張して前方を見ると、尾根の鞍部がだんだん近付いてきた。
何とか乗り切ることが出来そうに思えた。
そして、ついにやった!
およそ50mで尾根を乗り越えることが出来た。
「海だ!海だ!」と興奮して叫んだ。
目の前には、いや眼の下にオホーツク海が、滅多に見せないと言われる鮮やかな青で眼に飛び込んできた。
あの陰鬱なシベリアの旅は終わったのである。
美しく青き大洋が、何時までも見飽きることのない表情を湛えて招いていた。
まもなく、懐かしい海岸線や街に出会うことであろう。
徐々に高度を下げていった。
2時過ぎ、アヤン港の漁民の頭上に飛行船のエンジンの音が轟いた。
船乗りや漁民には天を駆ける火を噴く馬車のように思えたかもしれない。
ベルリンから太平洋岸まで、ほぼ69時間、7600kmを飛行してきた。
ここまで、非常に効率よく燃料を使用してきたので、タンクの中には、なお50時間分の燃料が残っていた。
このまま直接ロサンゼルスまで飛ぶことも可能であると思われた。
そうすれば、ベルリンからサンフランシスコまで無着陸で120〜125時間の記録が出るかもしれない。
大圏コースに乗ってゆけば、、カムチャツカ、ウナラスカを越えて6000kmの距離であり、気象概況によれば、その空域では殆ど追い風であると思われた。
そうすれば燃料はおそらく足りるであろう。
だが、日本人は何と言うだろう?
もし、寄らずに通過してしまったらモスクワ市民以上に怒るに違いない。
ここからは航法上、非常に興味のある部分に差し掛かった。
低ツングースカを飛んでいるときに、気象概況は支那海中部に強い台風があり、日本海の方へ移動していると知らせてきていた。
飛行船が日本海に行くまでに通過してしまうので、そこに向かって進むことは気にしなかった。
しかし、その後台風は遠く北東に去り、もはや北ないし北東の風を利用することは出来なくなっていた。
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[註]支那海
世界周航の章では、支那海という言葉が出てくる。
原文で "die Chinesische See" であるが、これは東シナ海のことであろう。
インド回りの航路案以外では通る予定もなかったが、飛行船は風の影響が大きいために低気圧とか台風とかの配置や動きに従って運航されていたのでシベリア航路の航行についても支那海という文字が散見される。
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