2007年08月05日

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(飛行船:408) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(61)

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(レナ川:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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 世界周航(14)

 哺乳類である人類は、食べるものがあれば何処にでも住めるし、エニセイ川とレナ川に挟まれた北シベリアのステップのようなところでも北極海の氷の上でも暮らせる筈であるが、我々はここに住みたいとは思わなかった。

静かで風のない状態で東に飛行し、その間に何もない平原に黄金に輝きながら沈むきれいな夕陽を眺めた。

短い夜のあいだに満月が昇った。いや、少なくとも昇ろうとしていた。
南の水平線上に低くかかっており、大きな黄色い球ののように短い軌道をゆっくり移動して行った。

北には、水平線の僅か下にある太陽の残光で、空は明るく輝いていた。

午後11時、ほかの乗客が寝台に横になって短い休息を取っているとき、1人のアメリカ人乗客が、この舞台の照明のような光景に魅せられてワインを2本注文し、夜を徹して月と薄明るい空を眺めていた。

私はしばらく彼につきあった。
飛行船に搭載したワインはとても良質で、天空のショウは素晴らしかった。

太陽が北北東から輝きながら昇って朝が来たとき、ヴィルユイ渓谷に来ていた。

そこはヤクーツクから560km離れており、そこでレナ川を渡ろうとしていた。
ヤクーツクは、我々西ヨーロッパの者にはシベリアで最も遠く、殆ど未知な無限の荒野にある街の一つで、地上で一番寒いところだった。

ここには数万、いや数百万の流刑者が、独裁政権によって通常の罪人あるいは政治犯として送り込まれた。

そこでは、もし際限のない苦役や苦難を生き延びたとしても、そこから脱出することは事実上不可能であった。

湿地や森林の上を34時間飛行して到達したそこを見て、筆舌に尽くしがたいものがあった。

さらに、同朋である第一次大戦のドイツ人捕虜がここに埋められていた

我々はその墓に花輪を投下することにした。

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