2007年07月29日

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(飛行船:403) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(57)

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(シベリアの湿地帯:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(シベリアの湿地帯:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(シベリアの湿地を流れる川:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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 世界周航(10)

煙から抜け出して、ヨーロッパとアジアの境界に居ることを実感した。

エカテリンブルクの北、約50kmで、シベリア横断鉄道の起点である。

ベルリンから、およそ3000km飛行してきたが、エンジン出力を絞って21時間飛び続けている。
おかげで燃料に余裕が出来た。

風は西から吹いていたが、この好都合な気流に委ねて北東に向かうコースを進んだ。

単調で、道も木もない荒涼とした原野を眼下に見ながら北東に向かい、はっきりと位置の確認できるイルティッシュ川とオビ川の合流点を目指して航行した。

恐ろしいほど荒涼とした景色はさらに寂しくなり、徐々に「タイガ」と呼ばれるオビ川の両側に無限に広がる湿地帯に変わっていった。

おそらく、今までに誰も見たことのない、何処までも続く非常に荒廃した土地は冬は雪と氷に覆われ、夏にも近付くことの出来ない湿地が際限もなく広がっていた。

飛行船は、この広漠とした地帯を高度300mで進んだ。

イルティッシュ川とオビ川を渡った真夜中、オビ川とエニセイ川のあいだの無限に続く湿地と森林の広がる地域で北東に向かうコースに沿っていたが、エニセイ川に注ぐ低ツングースカ流入点と呼ばれる地点に向けて北東に進んでいた。

我々の意図は、ヤクーツクの方向にあるツングースカのコースを辿ることであった。
何故かならば、南寄りのコースでは高地に向かうからである。
その上、北寄りのコースはオホーツク海に最も近かった。

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[註1] シベリア鉄道
シベリア鉄道は、正確にはチェリァビンスクからウラジオストックまでの7400kmの区間を指すが、航空網が発達するまでは極東とヨーロッパを結ぶ最速の交通路であった。但し、鉄道は爆撃やゲリラなどの攻撃に弱く、一度破壊されると麻痺が全区間に及ぶこともある。
このため、第2シベリア鉄道とも呼ばれるバム鉄道も建設された。
ロシア海軍はバルティック艦隊、黒海艦隊、極東艦隊と連携出来ない遠隔地に艦隊を維持しているが、いざと言うときにはシベリア鉄道で兵員・弾薬・糧食などのほか、小型潜航艇も輸送すると噂されていた。

[註2] オビ川、イルティッシュ川、エニセイ川
オビ川はウラル山脈の東を北極海に注ぐ大河であるが源流はずっと南東に発している。
イルティッシュ川はウラルの東からこれに流れ込むオビ川の支流である。
エニセイ川は中部シベリアを北極海に注ぐ大河で、ツングースカ川を支流に持つ。
このほか、更に東にヤクーツクを潤して北に流れるレナ川がある。

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