2007年07月28日
(飛行船:402) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(56)
(シベリアを航行中の船影:R.Archbold,K.Marschall著"HINDENBURUG"から転載)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
世界周航(9)
モスクワの住人達が屋根の上で空しく飛行船を待ち続けている間、飛行船は北東に向けて前進を続けていた。
進行して行くうちに、北ヨーロッパを覆う低気圧域の影響をますます受ける様になり、強い南西の風に助けられて進行が捗った。
エンジンは4基だけを使い、スロットルを絞って運転していたが、それでも対地速度で毎時109kmは出ていた。
これは燃料節約に有効であった。
ほぼレニングラードに近い緯度まで北上し、ボログダの街に到達した。
ここで初めて進行方向を東に変えて、ウラル山脈の麓にあるペルミに向かった。
そこで低いところを見つけて山脈を乗り越えるのである。
平均高度600〜700mで飛行し、この国の素晴らしい眺めを楽しんだ。
初めての経験であり、特にこの北緯では真の暗闇は2〜3時間しかないことが印象に残った。
際限もないだだっ広い空間、膨大な広さの森林や原野、境界を越えるとまもなく考えられないほど疎らに村や農家が点在していた。
中央ロシア、東ロシアと進むにつれてますます疎らになって行った。
何キロも続く限りない森や、小さな川の畔の静かで長閑な小さな村が如何にも侘びしげに孤立しているのが見えた。
目に下に見える古くから続く自給自足の孤立したこれらの人々の平穏を、これまでに自分達以外の誰が妨げただろうかと考えてみた。
「ツァーの国土は広く、天は高い!」
このロシアの格言は言葉通りの意味であった。
しかし、それは過ぎ去った昔と、その頃の人にだけ当てはまる。
今日では誰でもラジオや電報が簡単に使え、どんな奥地の森林や僻地でさえ資源の流通が容易になって来ている。
真夜中過ぎ、ペルミの少し北でウラル山脈に到達し、ゆっくりと高度1000mまで昇った。
目の前に広がった山脈は、孤立した高台が目立つだけのやさしくうねる丘のような平坦で広大な森であった。
しかし、それが長距離にわたって濃い煙に覆われているのを見て驚いた。
大きな山火事を何十と合わせたような森林火災であった。
非常に濃い煙の中を半時間飛行したが、前も後も30m先も見ることが出来なかった。
これはよくある普通の出来事だと聞かされた。
木樵、猟師、あらゆる種類の放浪者が焚き火の不注意で起こす火災は、真夏の乾燥期を通じて頻発すると言うことであった。
ウラル山脈を越えているとき、長さも幅も100mを越える広い領域が濃い煙に覆われているのが見えた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[註]レニングラード
2007年現在サンクトペテルブルクと呼ばれている都市名である。
ロシアの地名はよく変わる。レニングラードとかスターリングラードとか人名を付けるから、その人物の評価が変わると改名される。
"(飛行船:402) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(56)"へのコメントはまだありません。