2007年07月27日
(飛行船:401) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(55)
(世界周航時のメニューの一つ: Waibel,Kissel共著 "ZU GAST IM ZEPPELIN"から転載)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
世界周航(8)
エカテリンブルクでウラル山脈を越えようと思っていたが、その途中にモスクワがあった。
乗船中のロシア代表は操縦室にいる私のところへ来て、モスクワ上空飛行が絶対に必要であると強調した。
明らかにこの件を指示されてきたように見えた。
彼の話によるとモスクワには「数十万人が世界で有名なツェッペリンの勇姿の現れるのを期待して待っている」と言うのである。
ロシア政府が、そう言わせているのである。
私は、その時点で確答することを躊躇っていた。
朝の天気予報では、南ロシアの天候は不確定であったので、とりあえず夕刻の天気予報を待っていたのである。
夕刻に受信した天気予報では、カスピ海の北に低気圧域が発達しつつあり、遠く北にあるモスクワ方面にも強い東風を及ぼす可能性が示されていた。
もし、首都に行くとすれば向かい風の準備をしなくてはならない。
首都に行くためには北上する必要があるが、私にはルートに従って快適な西風で平穏な航行を維持するためのあらゆる権限が与えられている。
さあ、どうしよう?
私にはロシア代表の申し入れが、モスクワ市民をいらいらさせたり失望させたくない「政治的な」要求であることはよく判っていた。
一方で航行条件には、飛行距離が長く燃料には制限があるので最良の天候状態で飛ばなくてはならない。
フリードリッヒスハーフェンで100時間分の燃料を搭載した。
それは平穏な状態で約1万1千kmの距離に見合う量であった。
当然ながら速度の減少に対する一定量の余裕は必要で、それほど強い向かい風に遭遇しなければ、飛行時間は130〜140時間までは延長することが出来た。
しかし風の条件を正しく用い、つかまえた追い風によるメリットを利用することによって安全と余裕は確保されるのである。
私には、政治的理由であろうがなかろうが、あらゆる条件に優先して航行状態を維持することが基本的方針であった。
従ってモスクワを右舷側に残し、そこから離れて北に転舵することを決断した。
ロシア政府の代表は、怒り狂って脅すような言動に及んだが、それは何も功を奏することにはならなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[註]ロシア政府代表
例によってエッケナー博士は必要のない限り、特定の人名は記述していないが、乗客20人の中にソビエト・ロシア政府代表が3人も居たとは思えない(飛行船:309「グラーフ・ツェッペリン」メモ(1:世界周航の乗客))。
関根氏の「飛行船の時代」では、この人物をロシア代表のカルクリン氏としており、その中で園地記者のメモから『乗客名簿にカルクリン君のことを地理学者で教授と出ていたが聞いてみると教授なんかでなく、エンジニアだと言う。何のエンジニアだと聞くと飛行機だと言う。これだけ聞き出すことも容易ではなかった。彼のドイツ語の出来ないのは我慢するとしても、その勘の悪さには閉口した』と引用している。
秋本氏の「日本飛行船物語」には『ソビエトの気象学者カルクリン(日本で下船)』として記述されている。
天沼氏の「飛行船ものがたり」では『ソビエト政府からは、地理学者カルクリン』、『ロシア代表のクルクリン』等と載っているが同一人物であろう。
"(飛行船:401) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(55)"へのコメントはまだありません。